過去にレイキを学ばれた方がお見えになられたときに仰った言葉です。
私は愛自体が分かりません。
電車でお年寄りに席を譲ることなど当たり前のことは、愛ではなくマナーだと思います。
家庭でも、夫は仕事して稼いでくる役、妻は家事と育児の役、それは役割分担というか交換条件というか、そういう意味だと思います。
それを愛って言われても分かりません。
「愛」という言葉に過剰反応されます。
愛を知りたくてレイキを学んで
それでも実感がわかないらしいのです。
お体からはちゃんと愛の反応があり、愛がない人ではないはずなのに、どうしてでしょう?
でもね、この「愛」ってのは
意識すればどこにでもあるものですけど
意識しなければ見当たらないものなんですよね。
勿論私も勘違いしていましたよ。
「愛してます」
と言葉にされたときに
(異性でも同性でも)
「嬉しい、私も愛しています、ありがとう」
と反応する人もいます。
隣人愛を知っている人はこういう反応が即座に出ますね。
「嘘ばっかり。本当は私を搾取しようと思ってそんなこと言うんだわ。」
と心の中で反応する人もいます。
(猜疑心いっぱいですね…)
「えぇぇ!愛してるですって!?どういうこと~?」
「…(照れるだけ)」
「あの、そういうこと望んでないんですけど。」
「はぁ…で、私のどこがいいの?」
人それぞれ反応があると思うのですけど
愛って結局、『存在そのものに感謝していて、思いやりのある状態』だと思うのです。
きっとこの方にとっては
異性間の「性愛」
親子間などの「家族愛」にフォーカスが強かったのかもしれないですね。
それ以外の他者への愛は、負担なのかも。
誰にでも愛はあるはず。
もしそう思えないのならば、
自分が嫌いで世の中も怖いということに、頭が酔いしれている状態かもしれませんね。
相手を利用価値で測る思考から、愛由来の思考に変えてみませんか?
きっとご自身のことも、利用価値から愛由来で見れると思います。
あなたの潜在意識をボディーワークを使って通訳致します。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
身体の地図を読む健康管理士のいるサロン癒り庵(ゆりあん)
メニューはこちら
クーポンはこちら
アクセスはこちら
予定表はこちら
お問合せ・ご予約はこちら
今月は、【腕と肩周辺のフーレ】サービス実施中です。
