実家に祖母,父母,妹一家が身を寄せていた。
妻は小学校。長男は学校。
震災を乗り越えるには,何より体力が大事。
体力を支えるのは気力。
気力を支えるのは,食事と睡眠。
どんな状態であっても,食事は何より大事なのだ。
米や味噌,野菜はあるし,水も出るが,いかんせん電気がない。
まだ余震が続いており,うかつに火も使えない。
地震発生前に,妹がカレーを作って,ご飯を炊いておいたという。
工場から400メートルほど離れた,妹一家が住むマンションにそれらはあるという。
自転車で向かう。
だがすぐに断念。
まだ水が引いていない。
膝ほどの深さでも,案外進めない。
この程度の津波でも,巻き込まれたら逃げられないというのが理解できる。
工場へ戻り,長靴に履き替え,ザブザブと進む。
黒い水。透き通ってはいない。
薄い泥水なのだろう。
途中,予想外に深い場所があり,結局長靴の中も水浸しになってしまった。
黒い水は,恐ろしい程冷たい。
しかしこれ以上は増水しないという確信があったので,恐怖は感じない。
妹のマンションに近づく。
部屋は2階。階段を上がればすぐである。
突然「助けて下さい!」という女性の悲鳴。
かなり切羽詰った様子。
見れば赤ちゃんを腕に抱え,小さい女の子の手を引いた若いお母さん。
マンションの一階廊下で,私の方を見て必死に呼びかけている。
「階段で2階に上がったらいいっちゃ」とノンビリ応えると,
「階段がわかんないんです!」とキレ気味に返される。
「?そんなわけないじゃん」と思いつつマンションの玄関に到着すると,確かに階段がない。
マンションには何度か来ているはずなのに,どうしても見つからない。
あれ?あれ?と探していると,ようやく分かった。
防火扉が閉まり,階段を覆い隠していたのだ。
防火扉を開けて,母子を二階へ連れて行く。
ホッとした様子のお母さんに,「子供と手をつないでもらえますか」と涙声でお願いされる。
目線を低くして,「大丈夫だよ」と声を掛け,半ベソの女の子と手をつなぎ,二階へ上がる。
車に子供を乗せて避難しようとしていたらしい。
しかし増水した水で車が浮いてしまい,走らなくなってしまったとのこと。
しかたなく車を捨てて,徒歩で逃げてきたとの事。
「これ以上水は来ないから。大丈夫」と励まして,妹の部屋に入る。
私のアパート同様,食器だの何だのが散乱している。素足では危険だ。
長靴は外側も内側もビチャビチャだから,玄関で脱ぐ意味がない。
悪いとは思いつつも,ビチャビチャの長靴のまま上がらせてもらう。
幸いカレーは床に落ちていなかった。
しかし何と言うことか,フライパンで作られている。
このままでは非常に運びにくい。
手近にあった,たぶんきれいな容器にカレーを移し替え,
ご飯は炊飯器ごと持ち出す。
先ほどの母子は,近所の会社の人に背負われ,安全な場所へ移動していた。
カレーと炊飯器を持って,ザブザブと工場へ戻る。
水の冷たさにもすっかり慣れている。
一段高いところにあるホンダのディーラから,私を見下ろすおじさん。
「やっぱりしょっぱいのすか?」
「はて。舐めてみさい」
何ともノンビリしたやりとり。
海から離れた場所でこの有様だから,当然沿岸部は壊滅状態なのであるが,
私も,家族も,このおじさんも,誰もそんなことは思っていない。
今思えば,頭のネジが,一本飛んでしまったかのように,
思考回路が正常に働いていなかったのだと思う。
これが震災直後の心理なのだろう。
・・・つづく。