ブログ名「児童文学と音楽の散歩道 reload」のブロ友のネコパパさんが10月20日の投稿で「早すぎる“ブラボー”は、NG?名フィルが異例の投稿。物議醸す」という記事を投稿しました。
ネコパパさんの記事によると、きっかけとなったブラボーは、毎日新聞で紹介された11日に愛知県芸術劇場(名古屋市)で開かれた名フィル定期演奏会でのブルックナーの交響曲第8番ハ短調について・・。最後の3音(ミ・レ・ド)の後、3拍の休符で締めくくられる荘厳な曲。最後の3拍の休符までで一つの曲となっているが、その休符を待、3音が終わるやいなや客席にいた一人の男性が「ブラボー」と叫んだ。指揮者はまだタクトを上げたまま。いわゆる「フライングブラボー」だ。
そして名古屋フィルハーモニー交響楽団が11日、公式X(ツイッター)に「早すぎる『ブラヴォー』はうれしいものではございません」と投稿した。表示回数(インプレッション)は4700万回を超え、ブラボーのマナーについてクラシックファンを中心に物議を醸している。
・・・という話です・・
ネコパパさんの投稿記事と、毎日新聞の記事の詳しい記事はこちらです
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早すぎる「ブラボー」はNG? - 児童文学と音楽の散歩道reload
楽章間での拍手・・確かにライヴ盤を聴くと、終楽章前に拍手をしているCDもあるのですが・・・
クラシック音楽好きのHIROちゃんも、「フライングブラボー」や、楽章間での「ブラボー」や、大拍手の演奏会は何度も経験しています。
その①
古い話ですが、1975年4月24日水戸市での、オッコ・カム指揮/新日フィルの スプリング・コンサート 江戸京子「協奏曲の夕べ」と題したコンサートに行ったとき。プラグラムはモーツアルト:交響曲第41番「ジュピター」と、江戸京子さん共演のリスト:ピアノ協奏曲第1番と、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番。
・・モーツアルトの交響曲第41番「ジュピター」の第1楽章終わりで、会場から拍手が・・つられて多くの拍手があったのですが、指揮者のオッコ・カムが首を後ろにして、左手で拍手を静止していました。
その②
この話はブログでも以前書いたのですが・・(投稿当時のブログ文から・・一部抜粋)
2014年、7月3日いわき市で行われた、小林研一郎指揮/ハンガリー国立フィル演奏会、チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(Vn;千住真理子)と、交響曲第6番「悲愴」がメイン。
当日のプログラムから・・・
この時は、演奏に先立って場内に日本語と英語でアナウンスが事前にありました。・・その中で・・・「前半のヴァイオリン協奏曲は3楽章の曲です。・・・後半の曲は4楽章の曲となっております。・・・各楽章の間での拍手はご遠慮ください。・・・指揮者の方が最後に挨拶をされる時に拍手をお願いいたします・・・」との丁寧?な場内アナウンスにちょっとびっくりしました。このようなアナウンスをクラシックの演奏会で聴いたのは初めてでした。
この事前のアナウンスにもかかわらず、事件は「悲愴」でおきた。第3楽章の最後は高揚した所で楽章が終わるのですが、ここでハプニング! 大音量で3楽章が終わったとたん、会場から「ウォ~!」という歓声と共に拍手の嵐!まさに驚き・・・クラシックをあまり聴いていない方が多かったのかどうかわかりませんが・・・つられて多くのお客様が大拍手・・・
(クラシック音楽の最後はフォルテシモの大音響で終わるものだと思っている方が多いのでしょうか?因みにこの「悲愴」は静かに消えるように終わる曲です)・・・・さすがのコバケンさんも驚いたのか、指揮棒を高くして体を斜めにしたまま、しばし硬直、振り返らずに、拍手の止むのを待って・・第4楽章へ・・・
最後の第4楽章は余韻を残し、今度は少しばかり、間をおいての拍手の嵐で感動の演奏でした。
小林研一郎さんは、いわき市が地元ということもあってか、ステージからのご挨拶。「大震災からの復興の中で「悲愴」という曲の悲しみの中から生きる喜びや希望を感じて欲しい・・・との言葉・・・そして・・・演奏会への感謝と・・・「3楽章での拍手の炸裂にも感謝です」との言葉には会場から大きな笑いが出ました。
その③
正直、私の住んでいる地方の田舎では、クラシックの演奏会そのものも少ないので、クラシック音楽の最後はフォルテシモの大音響で終わるものだと思っている方が多いのでしょうか? ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」をアマチュアのオケと共に合唱団員として歌ったときのこと、第4楽章が始まって10分くらいのところで 「Vor Gott Vor Gott !」と合唱で盛り上がったところで「ブラボー!」と叫んだ方がいて、つられて何人かが拍手を・・まあこれは曲を知らない方でしょうね。
HIROちゃんは拍手は急がない主義なのですが、良く演奏会で思うのですが、何故、「この曲はここで終わり」と知ったかぶりをしているのか、あるいはライヴ録音に自分の「ブラボー!」の声を残したかったのか、・・本当に感激したのかわかりませんが、いつも何故、日本人の拍手は、あんなに早いのでしょうか・?
曲の余韻も感じないと・・中には指揮者のタクトを下ろさないうちに・・・「ブラボー」と大声で叫ぶ・・・これは早すぎです。
本当に感激した演奏の時は、拍手を忘れ体が震えることもあります。
拍手は余韻を感じながら・・・しばし沈黙・・・拍手は、はじめは控えめ・・・だんだんと大きくなり、割れんばかりの拍手・・・これの方が私は感激しますが、皆さんはどう思われますか・・・?