みなさん こんにちは。
東京は、いいお天気で暑くなっています。
梅雨明けも近いのでしょうか?
6月は日照不足で涼しかったので、
まだ暑さ慣れしていませんね。
みなさま お体ご自愛くださいね。
さて
娘一家の5歳のおちびさんは、保育園に通っています。
昨日は、保育園の保護者面談だったそうで、
ママとおちびさんは、
いつもより1時間早く帰宅してきました。
先生は、よく見ていてくれるな、と娘は言っていました。
給食風景の話が興味深かったです。
昨年までは、
いくつもの食器が一人一人の前に並んで、
「いただきます!」
だったようです。
ですが、今年から、
各々が料理の入ったお鍋のところへ行って、
自分で食器に入れているそうです。
「嫌いなものは上手に避けて、よそっていますよ」
先生は笑っていたそうです。
微笑ましいですよね。
娘を育てていたときを思い出しました。
苦手な椎茸を除きたい一心で、
お箸で、そりゃあもう、
椎茸だけを跡形もなく避けていました。
嫌いなものを出すという執念が凄すぎて?、
2歳の頃には、
お箸使いがめちゃ上手でした。
思い出しますね。
昭和の給食は、
ちょっとした「苦しみの場」でしたよ。
牛乳がどうしても飲めないお友達がいました。
みんなが昼休みで外に出て行ったり、
午後の授業で音楽室へ向かう時になっても、
牛乳を前にして、泣いていましたっけ。
あれって、今ではギャクタイ?ですかね?
あの時代では
お残しは、絶対にだめでした。
ああいうことはね、
食べることそのものを、嫌いにさせてしまいます。
おまけに、
たった10年足らずの人生において、
すでに、
「私はオチコボレです」
そういう烙印を、
自分自身にしっかとつけてしまいます。
今はね、アレルギーもありますし、
不登校問題もありますからね
給食のシバリは、なくなったようですね。
よかったですね。
思うのですよ。
食べることは、「食感」。
立派な感性の一つなのですよ。
音楽や、絵や、ダンスと同じです。
得意とか不得意じゃないのです。
「好き」とか「嫌い」の世界です。
人の数だけ、その人らしさがあるのです。
人はね、
お空の上からママのところへ降りてくるときに、
「この人生では、これをやりたい!」
みんな、それを持っていたと思うんですよ。
でもね、
「おぎゃあ」
生まれた途端に、それを忘れてしまう。
生きていく道 というのはね、
その忘れてしまったことを探し求める道
そんな気がするのですよ。
その道しるべになるのが、「感性」だと思うのです。
なぜか 好き。 なぜか どうしてもイヤ。
そういうところに、
ヒントがあると思うのですよ。
生のお肉やお魚が食べられない。
もしかしたら、
前世では高い身分の人だったかもしれません。
危ないものは、口にしなかったのかもしれません。
猫舌で、熱いものは一切ダメ。
同じように、
前世では高い身分の人だったかもしれません。
厨房から自分のところまで、遠〜くて、
どうしても冷めちゃう。
自分のところに来るまでに、何人もの毒見係が試食する。
だから、どうしても冷めちゃう。
熱いものなんて、
口にしたことがなかったのかもしれない。
そう思うとね、
自分の食は、自分の好きな音楽と同じくらい、
自分を知るための、大いなるヒントですね。
食べることさえできなかった時代から、
恵まれた時代になったのですね。
「昔話の王子でも、昔は、とても食べられない」
歌にもありますね。
「アイスクリーム!」
今日も暑い! 食べよう!
色々あってもね、
時代は、ちゃんと しずしずと、
幸せな方向に進んでいるのかもしれません。
王子様でも食べられなかったアイスクリーム
王女さまでもないアラカンが、
今日も食べているんですよ。
がんばっている人も
がんばれない人も
がんばらないようにがんばる人も
今日も、ありがとうございます。