みなさん こんにちは。


東京は、今日もよく晴れています。

日中の陽射しがある時間は暖かいですが、

朝晩はぐんと気温が下がります。


どうぞ 体調に気をつけて、

年末の楽しいときをお過ごしくださいますように。




さて

今朝、道路の落ち葉を掃いていると、

娘一家の3歳のおちびさんが出てきました。


保育園へ行く時間ですね。



“自分もやる!‘

箒を動かし始めました。


うまく塵取りに入りません。

真剣な顔です。



手首の使い方に気づいたようです。

ひねり方を変えました。


落ち葉は、見事に塵取りに入りました。


“にまっ!“

大満足の笑顔です。

そして、

元気に自転車の後ろに乗って出発していきました。




思うのですよ。


子どもって、

何かを買ってもらったり、どこかに連れて行ってもらったり

もちろんそういう時は喜びます。


でもね、一番顔が輝く時って、

できなかったことができたとき

初めてのことができた時

ですよね。



そういう時にいつも感じるのですが、

“初めてできた!“ というよりも、

とっくにできていたこと とか

とっくに知っていたこと とかを

思い出した!


そんな感じがするのです。



そりゃあそうですよね。


もしも、人に生まれ変わりというものがあるのなら、

前世、前前世、と、いろんなことをやってきているのです。


とっくに体験してることはいっぱいありますよね。




アラカンまで生きてきました。


あれやこれや、いっぱいありました。



でね、

人生がこんなにやっかいになるのは、

“生まれた途端に全部忘れちゃう“

そのせいなんじゃないの?


そう思うのですよ。



この人生では、これをやろう!

そう決めてきたことや、

前世、前前世、前前前世にいっぱい体験してきたことや、

ぜーんぶ忘れちゃう

そのせいなんじゃないの?



60年の人生を振り返るとね、


“自分、何のために生まれてきたんだろう?“


これを思い出す旅だったように思うのですよ。




小さい頃から、

親や先生や上司やらに言われたことに

結構忠実にやってきたように思います。



「これをやりましょう」

「あれはやってはいけません」


いつの間にか

“人生はこういうものです“

そんなレールに乗ってきましたね。


他に知りませんでした。



でもね、時折、

キシキシと不協和音が聞こえてくる。

やることを達成したというのに、

どこか何か虚しい。


「こうじゃあ ないでしょ」

魂がため息をつくようでした。



こうして、

「ああ、これも違ったか」

「ああ、これでもなかったか」

一つ一つ削除しながら、

なんのために生まれてきたのか?

自分の道を探してきたような感じです。



もしも、オギャアと生まれた瞬間に

“自分、この人生でこれをやりたい!“

このことを忘れさえしなければ、

こういうのって、

全く必要のない回り道だったのですよ。


うーむ。


どうして、60年もかかってしまうんだ?




やーっとなんとなくわかってきたことがあります。


“なんのために生まれてきたんだろう?“


“この世のお役に立ちたい“  とか

“世界平和のために“  とか


そんな大層な“めやす”でもなかったんだろうね。



ただひたすら、


“地球という星で人間という体験をしたい!“


そういうことだったんでしょうね。



しんどいことも、苦しいことも

それすらも体験してみたかったんでしょう。


かけがえのない体験です。



それを忘れちゃっているから、

しんどい! とか

もう、やだ! とか

ドツボの中でジタバタやってしまいましたよ。


泣いたりふてくされたり

やってしまいましたよ。



体験してみたい一つのゲーム

それに過ぎなかったのかもしれません。




時代は令和です。


こんな回り道に60年も費やすような、

そんな無駄なことは、もう必要ありませんね。



おちびさんはじめ、これからを生きる人たちは、


自分の魂からの直感に正直に

自分の道を見失わずに


すいすいと楽しく進んで行ってほしい。



たいへんな回り道をしてきたアラカンは、


そう願うばかりです。





がんばっている人も


がんばれない人も


がんばらないようにがんばる人も



今日も、ありがとうございます。