みなさん こんにちは。

 

東京は、とてもいいお天気です。

昨日の冷たい北風は緩やかになってきましたが、

まだ冬の寒さが続いています。

 

桜の蕾も、一旦、歩みを止めている感じですね。

 

 

 

さて

昨日、外出したときに、

袴姿の女子大生さんを何人か見かけました。

卒業式だったのですね。

 

あの強い北風の中、ちょっと寒そうでしたが、

はじけるように笑っていました。

 

 

いいですね。

おめでたいことがあった人がいると、

その場がほわっと明るくなります。

 

 

おとなになってしまうと、

こういう節目っていうのがありませんからね。

 

子どもを育てているときは、

子どもの成長に伴って、入学、卒業を繰り返しました。

親の自分にも、あるリズムで節目がやってきました。

 

子育てが終わっちゃうとね、

そのリズムもありません。

 

 

目の前の娘一家の2歳のおちびさんを見ながら、

「今度は、この孫の成長にあやかって節目を楽しむ?」

ふと、思いましたよ。

 

でもね、それだけで人生終わっちゃうのも

なんか、つまらないね。

 

 

 

もう、何十年も前のことです。

 

世田谷の豪徳寺というお寺に、

江戸時代からの桜と言われている

一本の桜の老木がありました。

 

幹はもう、大きくえぐられたようになっていて、

やっと立っていましたが、

たったひと枝だけ、

震えるように手を伸ばして保っていました。

 

 

3月の半ばになりました。

そのひと枝に、何輪かの桜の花が咲きました。

 

もう、数えきれないくらい春を迎えてきた桜ですから、

花の色は、ピンク味があるかなあ、というくらいで

ほとんど白に見えました。

 

 

そのあとのことです。

春の遅い雪が降りました。

 

水気をたっぷり含んだ重く湿った雪は、

その老桜のひと枝に

残酷なくらいからみつきました。

 

翌朝、うっすらと積もった雪の上に

そのひと枝は、

バッサリと折れて横たわっていました。

 

 

住職さんが、祈るように大事そうに

抱えていきました。

 

 

 

古いものがいつまでも残っている

これはすごいことです。

 

それと同じくらい

どんなに年を重ねていようと、

毎春毎春 全く新しい花を咲かせている

これは、すごいことだと思うのですよ。

 

命を生み出し続けているのです。

 

毎年毎年、花の色は薄くなっていきますが、

そのたびに

より神々しく、透けるようにはかなくなっていくのです。

 

 

自分には自分の花があるのですよ。

いくつになっても

毎年、全く違う花があるのですよ。

 

 

 

いつまでも子どもや孫のお祝いごとにくっついてまわる。

そればかりじゃ、つまらないね。

 

いくつになっても

今年の自分の花は開くのです。

開いてみるまでは、どんな花なのかわからない。

 

 

 

おちびさんのエネルギーのおこぼれを

期待してる場合じゃなかったよ。

 

自分の花を咲かせよう。

 

アラカンは思いましたよ。

 

 

 

がんばっている人も

 

がんばれない人も

 

がんばらないようにがんばる人も

 

 

今日も、ありがとうございます。