みなさん こんにちは。
大型連休も最終日となりました。
東京は朝からどんよりとした空です。
ときどき 強い南風にのって
激しい雨が窓に叩きつけています。
さて
いよいよ引っ越しとなりました。
明日は電気、ガス、水道も止まります。
家の建て替えの間 何か月か仮住まいとなります。
この何か月かずっと続いたダンシャリも
最終日となりました。
まだまだモノが溢れています。
ここまで来るとね 考える余裕もありません。
YESかNOかです。
1秒でNOと思ったら、即 ゴミ袋です。
グレーの選択はなしです。
そうなるとね
思い出とか感謝とか御恩とかそういうのも
1秒で取っ払われるのですよ。
結果 みごとなほど
ホンネのホンネの自分が必要としているもの
これだけが残ります。
とくにダンシャリできないのが
血のつながりとか家族の思い出ですね。
でもね、
ここまでせっぱ詰まってお尻に火がつくと、
父や母の遺影だって、
サイズの小さいものに焼き直して
コンパクトにして持っていくしかないのです。
孫の思い出のもの? 写真?
たった1歳なのに、
もうすでにいっぱいありますよ。
でもね
ここまでお尻に火が点くと、わかったのです。
スマホでおちびさんを撮っている時って
実際に今、そこで生きているおちびさんを
この目で見てはいないのです。
撮れた映像は、
その瞬間の、生のおちびさんのそれとは
やはり違うのです。
子どものどの瞬間も
この目で見て、この耳で聴いて、この手で感じれば
それでいいんだ とわかりました。
子育て卒業して30年も経って
やっと わかりました。
あらゆるモノは、
その人の存在そのものに
とって代わることはできないのです。
と、いうことで 意外なものが
ばっさばっさとダンシャリされていきます。
年末の大掃除くらいでは、こうはいきませんでした。
一度 更地になる。
ここまでお尻に火が点いて
はじめて ここに至った気がします。
お尻に火が点くような
特大級のダンシャリをした。
そしたら
ほんとうにほんとうに自分の魂が求めているモノ
それだけが、残った。
ほんとうのほんとうの自分がどういう人なのか
それが、やっとわかった。
そんな気がしているのです。
がんばっている人も
がんばれない人も
がんばらないようにがんばっている人も
今日も、ありがとうございます。