みなさん こんにちは。

 

東京は 雨の一日です。

久々に肌寒くなりました。

花粉も黄砂も洗われて

少しラクになるといいですね。

 

 

 

さて

家の建て替えに向かって

2週間くらい悶々とする日々が続きました。

 

新しい家のことで

「自分としてはこうしてほしい」

ということがあったのですが、

言えないでいたのです。

 

 

娘の嫁ぎ先が建築関係のおうちで、

この件でお世話になっていたからです。

 

娘にとってはお義父さんですからね。

 

とてもいい方なのですが

やっぱり嫁の立場です。

ぐっと飲み込んでいました。

 

 

しかし お腹の奥のほうから

「それじゃ、イヤだ!」

声が湧き上がってきます。

 

アラカンに至るまで

こういう時は、人の立場を先に考えて

自分の思いは飲み込んでくることばかりでした。

 

自分ががまんすることで丸く収まるのなら、

と思ってきました。

自分を打ち出すより、

こっちのほうがラクでした。

 

 

そんなことを10年20年とやっていれば、

「あの人は そういう人だから」

というのが定着してしまいます。

 

ますます 今さら 

自分の言いたいことをズバズバ言うなんて

難しくなっていました。

 

 

しかしです 今回はね

もう こういうのは ヤダ!

と 思ったのですよ。

 

この年齢までくれば

もう残りの人生は限られてきます。

 

このまま人生を終了するのはヤダ!

と思ったのですよ。

 

 

これを 大きな転機としよう!

そう決心しました。

 

これからは ガマンするのはやめよう。

 

打ち合わせで 

あちらのお父さんと業者さんが来宅しました。

 

そして思い切って

「ここは ちょっと変えてほしい」

切り出しました。

 

 

びっくりしました。

 

全員が、驚くほどすんなりと受け入れてくれたのです。

とても好意的でした。

 

「よい仕事をするために 

これからも みんながまんせずに

言いたいことは絶対に言いましょう」

 

そんな流れになりました。

 

 

なんだかね 

鎧兜が脱げたように 一皮剥けた 

そんな気がしました。

 

 

「どうせ だめだよ」

「自分の言うことなんて受け入れてもらえない」

 

いつから この「どうせ」が

定着してしまったんだろう?

 

やってみたら びっくりするほど

受け入れてもらえました。

 

60年も何やってたんだろう。

ちょっと あきれてしまいました。

 

 

「どうせ 私なんて」

この重くて硬い鎧兜で身を固めていたのは、

私自身でした。

 

誰のせいでもありません。

 

 

どんなに親しくても

血がつながっていても

隣の席で仕事をしていても

 

相手が今 どう思っているのかは

人にはわからないのです。

 

 

「ぜんぜん わかってくれない」

 

ぶんむくれて すねたりしても、

相手には

「どうして機嫌が悪いんだろう?」

 

わからないのです。

 

言わなければ わからないのです。

 

そんな あーたりまえなことに

やっと気づきました。

 

 

鎧兜が取れた日でした。

 

吉日 でした。

 

 

一人で勝手にぐるぐる回りして ぶんむくれていた

ただ それだけだったのです。

 

 

一回できれば、もう 大丈夫。

 

いつでも 誰にでも 言える できる。

 

大丈夫。

 

 

なんか、とても幸せな体験でした。

 

 

 

がんばっている人も

 

 

がんばれない人も

 

 

がんばらないようにがんばっている人も

 

 

今日も、ありがとうございます。