みなさん こんにちは。
東京は久々に朝から雨です。
午後になってやっと上がってきました。
雨とともに急に寒くなりました。
冬物のコートとブーツの出番ですね。
さて
保育園帰りの娘と1歳4か月のおちびさんが
我が家に立ち寄りました。
1歳半健診のことを心配しています。
今のママたちの1番の心配事は
「発達障害」ですね。
このくらいのおちびさんだと
まだハッキリわからないので、
みんな「発達グレイちゃん」を
心配しています。
平成時代に娘を育てていた頃は
こういう表現は、
まだあまり耳にしませんでした。
多動性 とか 自閉 とか
そういうふうに表現していたものを
総じて「発達障害」と呼ぶようになったのでしょうか。
うーむ。
子どもの一人ひとりの側から考えている
そういう感じがしませんね。
まず、学校という枠組みありき。
そして、その延長線上にある
会社組織という枠組みありき。
そんな感じがしますね。
子どもは
ただ 生まれてきた!
だけではダメなのでしょうかね。
最終的に会社という枠組みにはまって
安定した税金を納めてくれる人
にならないといけないのだね。
そのために
小学校、中学校と少しずつ調整して、
適応していける人材に育てていくのです。
45分から90分じっと座って
与えられるものをこなしていく適応力をつけるのです。
45分くらいでウロウロ動き出してしまうようでは、
9時から5時までちゃんと仕事をして
ちゃんと納税することができませんからね。
うーむ。
なるほどね。
枠からハミ出ちゃうおとなになる可能性があるから
早くから注意して育てましょう
ということですかね。
「発達障害」かどうかを判定する基準。
それを決めた人たち。
多分、東大とかを卒業したエライ人たち。
その人たちは、ゼッタイに
「発達障害」じゃないのですかね?
外側の基準はたいへんに優秀でも、
内側は歪んでいて、人格、心の有りようは
めちゃくちゃ「発達障害」だったりしないのですかね?
見える外側さえちゃんと枠にはまっていれば
見えない心や魂なんて
どーでもいいんですかね?
う-む。
何をもって
まっとうに発達しているというのでしょうね。
その人の人生がどういう人生だったかなんて
最後の最期までわからないですよ。
空に還ったときにはじめてわかることですよ。
まして、
まだ生まれて何年かの子どもたちの
何がわかるというのでしょうね。
先日 コンビニで
並んでいる人を突き飛ばすように
かきどけたご老人がいました。
立派な腕時計をつけていました。
いかにも、現役のころは
ご立派な肩書きでしたでしょう。
そんな感じのご老人でした。
「どけっ!」と怒鳴っていました。
でもね、今はただ
ひとりのおじいさんでしょ?
さっき生まれたばかりのべビーとなんら変わらない
ひとつの命でしょ?
「こころの発達障害」ですか?と思われる
こういうおとながわんさかいます。
こういうおとなたちを放っておいて
子どもたちばかりを計りにかけるの?
子どもは、この世に生まれてきただけで
十分にすごいよ。
子どもが一人そこにいるだけで
淀んで濁った空気が軽くなるよ。
その人が一人いるだけで
あたり一面どよんとした空気になるような
そんなロレックスのおじいさんとは
違うんだよ。
子どもの命を
おとなが決めた基準で計ろうとしても
やっぱりそれはムリなのだよね。
最後の最期まで誰にも
わからないのだからね。
がんばっている人も
がんばれない人も
がんばらないようにがんばっている人も
今日も、ありがとうございます。