みなさん こんにちは。
今日の東京は朝からいいお天気で
暖かくなりました。
日中は陽射しのある家の中では
半袖に素足です。
気持ちのいい一日ですね。
さて
ベランダで洗濯物を干していたら、
「がんばれー がんばれー」
いつもの声が聞こえてきました。
家の前は坂道です。
朝、保育園へ向かう親子さんが
この時間に坂を上ってきます。
自転車の後ろに乗った女の子が
必死でこいでいるママの背中に
毎日エールを送っています。
いつもほっこりとうれしくなる声です。
子どもって体は小さいしできることは少ないし。
でも、まだ赤ちゃんの時から
ママを応援してくれますよね。
親は小さい命を授かって
毎日夢中で育てていますから、
自分がいなければこの子はどうなる?
と思います。
自分がこの子を守っているんだ
と思います。
でもね、子育てを終わって
娘が1歳の子を育てているのを見ていて
やっとわかったのですよ。
子どもは全身全霊でママを守っています。
ママをしあわせにするために
やってきてくれたのです。
ちょっと派手めにメイクをしていて
近寄りがたい雰囲気の女子高生3人が
しゃべっていました。
そこへ通りかかったおばあさんが
引っ張っていた買い物カートが、
ちょっとした段差に引っ掛かりました。
その瞬間、
その子たちがパッと動いて手を貸して
カートをもとに戻してあげました。
みかけはどうであろうと、
髪の色がどうであろうと、
子どもたちは純粋で優しいですね。
こういうとき、
通りがかった会社員たちは、
見ないようにスルーしたりします。
子どもというのは、優しいです。
どんな子も、
人の役に立ちたいという思いを持って
生まれてきているように思います。
そして、その一人目が、ママですね。
生まれてはじめてかかわる人です。
自分を生んでくれた人です。
まずは この人が
笑顔でハッピーになってくれることが
子どもの歓びです。
母親はね、
なんとなくそれをわかっています。
自分がめんどうをみているのですが、
その実、子どもに甘えさせてもらいます。
子どもの優しさに甘えます。
居心地いいですからね。
でもね、小学校の高学年くらいになると、
子どもは視野をうんと広げ始めます。
もっと広く大きな世界で
何か自分にできることがあるんじゃないか
そんなふうになってきます。
いつも自分だけを見て守ってくれていた
子どもの目が、広く外へ向き出す。
母親ってね
コレ ちょっと寂しいし不安にもなるのですよ。
これは思春期、反抗期なんてものへと
続いていきます。
この時にね、
まだママがしあわせそうじゃないとね、
子どもは次の広い世界へと踏み出せませんよね。
まだ、
ママをしあわせにできていないからね。
大きな広い世界で活躍する人になーれ
なんて願っています。
その一方で
いつまでも私のことだけを考えてくれる子でいてね。
なんて ちゃっかり思っています。
自分が
あの苦しいお産とたいへんな育児を経て
育てた子ですからね。
どうしてもそうなりますよね。
今は客観的な立場ですから
わかるようになりました。
子どもの長い人生の中で
この世に降ろしてあげて
自分で自分のことができるようになるまで
めんどうをみてあげる
そういうお役目ですね。
そのあとの道のりで
子どもたちを導いてくれる先達は、
たくさん用意されているでしょう。
それらは、次々と
通りすがりの人のように変わっていくでしょう。
育てあげてお嫁に出しました。
母もまた、
そういうお役目の一人であった
通り過ぎていく一人であった
今は、それがよくわかります。
でもね、
現役子育て中のときにはね
なかなかこんな境地にはなれませんでしたよ。
母と子。
二人で一人からスタートしていますからね。
うーむ。
なかなか難しいことですね。
がんばっている人も
がんばれない人も
がんばらないようにがんばっている人も
今日も、ありがとうございます