みなさん こんにちは。

今日の東京は、日差しがありますが

昨日までより雲が多くなってきました。

朝晩は晩秋の肌寒さになってきましたね。

 

 

 

さて、

娘が出産してベビーはもうすぐ5か月になります。

第三者として娘とベビーを見ている立場です。

 

 

自分が子どもを育てていたときを飛び越えて

なぜか、

母が私を育てていたときのことに

思いを馳せることが多くなりました。

 

 

2年前に母は旅立ちました。

とても厳しい母でした。

 

どんなに勉強がんばっても

リレーの選手になっても

受験合格しても

ご近所に挨拶できても

 

いつも母は 

私により一層の努力を求めてくるように

感じていました。

底知れぬ要求をしてくるように

感じていました。

 

 

時は流れて

自分もあのときの母の年齢をとうに超えて

孫のいる立場です。

 

 

今になってなんとなくわかることもあります。

 

 

戦争を知っている世代でした。

女性には、自分を主張することが

何一つない時代でした。

 

唯一 自由にできるとしたら、

自分がこの世に生み出した子どもだけでしょう。

 

 

自分の人生を肯定するために

自分の存在を

人にも自分にも認めてもらうために、

子どもはどこからどう見ても

立派ですばらしい出来であることを

望んだのでしょう。

 

イコール 自分の存在価値ですからね。

 

 

 

 

その次の我々の時代。

母たちよりはずっと自由になりました。

 

 

でもね

大学卒業しても就職氷河期でした。

 

四大卒? 短大ならねー。

23になるじゃない 結婚のほう考えたら?

 

などと、面接官がへーきで言うような時代でした。

まだ セクハラなんて言葉もありません。

 

 

で、就職決まっていよいよ社会人です。

 

仕事は、責任のあることをちゃんと渡されます。

でも、

電話が鳴ります。

すべての手を止めて、

ベル3回以内に受話器を取らなきゃいけないのは

いつも女性でした。

 

コピーを取るのも女性。

 

たばこの煙のアレルギーがあるのに、

男性の灰皿を片して洗うのも女性でした。

 

 

ついこの間まで こんな時代だったのですよ。

 

 

お茶?コーヒー? マシーンでね。

たばこ? 禁煙あたりまえ。

コピー? どうぞあちらです。

 

これでもずいぶん変わってきたのですよ。

 

 

 

子育てともなれば、

ママが抱っこひもで買い物していようものなら、

隣にいるパパに向けて 一斉に

 

お前が やれ!

 

まわりのママたちの目が飛んできます。

 

 

 

それでもまだまだ

女性にばかりウェイトが重くのしかかります。

 

でもね、

指を鳴らしたら あらあら不思議! 

とは いかないのです。

 

ここは リアルな3次元です。

 

でもね、

30年、50年 前から見ればちゃーんと

着実に変わってきているのですよ。

 

 

 

 

それでも、子育てをしていると昔も今も

 

なんでうちの子だけ 寝返りしないの?

なんでうちの子は 夜まとまって寝ないの?

 

次々に もっともっと と

要求が出てきますよね。

 

 

これはもう、しょうがないですね。

親たるもの、どうしてもこうなります。

 

 

 

さあ、もう令和です。

戦争世代の時代じゃないのです。

 

子どもに託すしか、自分の存在価値を表現できない

なんてことはないのです。

 

 

親だけど、母だけど

自分で自分を堂々と表現していいのです。

 

 

子どもに期待するよりも

自分にもっと期待しよう!

 

まだまだ若い。

まだまだ体力がある。元気もある。

小さい字もOK.

そして何よりきれい。

 

 

自分のことを自分でもっとほめて

もっと期待しよう。

 

子どもは子どもでちゃんとやっていくから。

 

 

 

お母さんが元気できれいでいれば、

なんだかんだで

子どもは ちゃんと大丈夫だから。

 

 

さあ、 もっともっと

自分に期待しよう!

 

 

がんばっている人も

 

 

がんばれない人も

 

 

がんばらないようにがんばっている人も

 

 

 

今日も、ありがとうございます。