みなさん こんにちは。

東京の空はどよーんと曇っていて

雨は降っていないですが

とにかく蒸し暑いです。

 

 

 

さて、娘が出産して

今は母子ともに実家に来ています。

 

 

自分の子育てのときは、

何が何だか夢中でしたが、

今は客観的に見られる立場となりました。

 

 

気になっているのは、

生後1週間でもう、ほかのベビーと

比べられる立場になっている

ということです。

 

 

 

自分はすばらしい。

かけがえのない存在だ。

そこに居るだけでOK.

 

 

わかっていてもわかっていても

ふとした瞬間に

人と比べて自分の至らなさを責める。

このクセが出てしまう。

 

 

これっていったい何なのだろう。

ずっと思っていました。

 

 

娘の出産を通して

その起源が生後たったの1週間に

あったのだ、とわかりました。

 

生後

わずか3日とか4日ですよ。

 

 

これじゃあ、もう、

細胞まで染み込んでいるはずだ。

 

 

 

自分のお産のころからそうでしたが、

暗黙の、母乳絶対 善 というものがありますよね。

 

 

お母さんのお乳が出なければ

子は死活問題だった昔と違って、

今は、どんどん性能の良くなる

ミルクがあるじゃない。

 

 

産後翌日からブシュブシュ母乳が出なくたって

何の問題もない。

 

と、今は責任のない立場。

こう思います。

 

 

けれど、自分のときもお産の後は、

母乳信仰ノイローゼになりました。

 

 

 

客観的な目線になってはじめてわかりました。

 

 

そもそもの出発点は、

病院で生む というところにあったのです。

 

 

3時間ごとに母子ともに

必ず授乳室に出向いて、

 

はい、みなさん 授乳です!

 

 

寝てたところを起こされたベビー。

産後の疲れがまだまだとれない母。

 

 

はい、 と言われても

すぐにホルスタインのごとく

ブシュブシュとはいかないでしょう。

 

 

なのに、病院側もスタッフは大忙しです。

時間どおりに一斉にスケジュールを

進めたい。

 

 

で、 はい、授乳です どうぞ。

になります。

 

 

ということで、

 

うちの子だけお乳の吸いが弱い?

私だけ母乳の出が悪い?

 

 

生後たったの3日だというのに

人と比べて自己嫌悪に陥る という

魔の巣窟にはまってしまいます。

 

 

なるほど!

ここにルーツがあるのか!

たった生後3日で!

 

母の自己嫌悪は

そのまま子の自己嫌悪です。

 

 

だいたい、どの子も同じ時間に

おなかがすいておっぱいに吸い付きます

なんて、なるわけがない。

 

 

システムや、労働環境、人材確保。

おとなの事情がからむのですね。

 

決してお安いわけじゃあない病院なのに。

 

と、ばばは思ってしまいます。

 

 

 

 

その昔、お産は、

お産婆さんが駆けつけてくれて

自宅で生みました。

 

 

そこには、同日に生まれる赤ちゃんは

いなlくて、たったひとりの

尊厳ある命の誕生でした。

 

 

大きい小さい、安産難産 関係なく

たったひとつの尊厳あるお産でした。

 

 

赤ちゃんは、おなかがすいたときに

おっぱいを飲みました。

 

 

うーむ。

 

 

人は、病院で生まれて病院で逝くのが

あたりまえになりました。

 

 

 

命の誕生も、終わりも

大きなシステムのひとつに

飲み込まれるようになりました。

 

自分の思いや尊厳は、

マニュアルとシステムのほうに

合わせていかなくてはなりません。

 

 

うーむ。

 

 

生まれることと 逝くことだけは、

人智でマニュアル化できないんじゃない?

 

 

これだけは、宇宙の管轄。

宇宙の領分 でしょう。

 

 

人としての 最後の聖域として。

 

 

 

がんばっているひとも

 

 

がんばれないひとも

 

 

がんばらないようにがんばっているひとも

 

 

 

今日も、ありがとうございます。