みなさん こんにちは。
今日も東京は真夏の暑さになっています。
そんな中、 ホーホケキョ
ウグイスが大きく鳴きました。
蝉が鳴いてもおかしくないような
そんな暑さの中 大丈夫? と
ウグイスが心配になりました。
さて、
先日 母の3回忌の法要のときに
白い百合を飾りました。
茎も太くしっかりした百合で
最初は一輪だけ開いていて
6つつぼみがついていました。
この百合が大変元気で、
毎日新しいつぼみが開いていきます。
一輪が全開になると
赤ちゃんの顔より大きいくらいです。
また一輪、また一輪 と開いてくると
花同士がギューギューして、
たいへんな混みようです。
なのに翌日には、その隙間から
なんとか首を出して
もう一輪が咲こうとしています。
そこで、
最初に開いた一輪を切って
ガラスのコップに移しました。
すると
たった1時間くらいの間に、
さっき 花と花の隙間からムリくりに
首を伸ばしていた開きかけの一輪が、
空いた空間に大きく首を動かして
あっという間に全開となっています。
おー! すごい。
開きたかったんだ!
もうその時だったんだ。
場所がなかったんだね。
うーむ。
そんなふうに、自分が花開く時が
とっくに来ているというのに、
咲くスペースがなくて
中途半端にもんもんとしていることって
いっぱいありますよね。
あの人は大輪の花だ。
大きな星を持って、生まれてきた。
とか、
あの人は縁の下の役目だ。
支える役だ。 とか
いろいろ言いますが、
みんな 本当は最初から
大輪の花なのでしょう。
時代やタイミングに恵まれて
大きく思い切り開くスペースが
用意されていて
ドンぴしゃ と大きく咲けたか 否か。
もしかしたら、
星を持ってるね なんていう
大輪さんが
今日も大輪さんなものだから、
ほどほどに咲いている
だけなのかもしれません。
イスが空いていたこと。
大きく息を吸うスペースに
恵まれたこと。
そういう条件が揃っているか 否かの
違いだったのかもしれませんね。
そんな百合たちを見ながら、
そうか。
我々は幸い人間なのです。
自分の足で歩いていけるのです。
あてがわれた空間と条件に
身をゆだねるだけではないのです。
スペースがないなら、
イスがないなら、
捜しにゆけばいいのですね。
自分は百合ではなかったのだ。
ということに
気づいていなかっただけですね。
誰でも最初から
大輪の花だったのですよ。
自分が、
大きく思い切り手足を広げられる
そんな どんぴしゃの場所へ
引っ越せばよかった。
ただ それだけだったのです。
がんばっているひとも
がんばれないひとも
がんばらないようにがんばっているひとも
今日も、ありがとうございます。