みなさん こんにちは。

東京は朝から雨です。

この何日か夏の暑さが続いていましたが

今日はぐっと涼しくなっています。

 

 

 

さて、昨日久々に行った都心で

亡くなった母と同年齢くらいの女性と

すれ違いました。

高齢だと思いますが、

お一人でしっかりと歩いて

すごいな、と思います。

 

少し狭い通路だったので

お互いに譲り合う形になります。

が、とたんに

すみません  と

小さく頭を下げてくれました。

 

こちらも ありがとうございます と。

母を思い出しました。

 

 

 

戦前の教育を受けてきた人たちです。

とくにこの年代の女性は腰が低く、

何かの折に、まず

すみません  と口に出ます。

 

 

その親に育てられているので

自分自身もべつに悪いことしていないのに

つい、 すみません と

口に出るクセがあって、

自分で気になって意識していました。

 

 

 

女性には何の権限もなかった世代です。

親の言う通り 学校の言う通り

夫の言う通りに生きた世代です。

 

なのに、戦争が終わって

あーいうの、全部ナシになったから!

と、あまりに翻弄された世代です。

 

 

それでも母たち女性は、

たくましく 適応力もすばらしく、

電化製品、車、電卓、FAX、

最後はパソコンまで触れていった

すごい世代です。

 

 

怒涛のような変化に適応しながらも

すぐに 腰低く 

すみません と口に出すことは

染みついてなかなか抜けませんでした。

 

 

 

ふと考えてみると

今の若い世代だけでなく我々世代でも

何かがあって、まず腰を低くする人って

いないかもしれません。

 

 

まず人を責めて、

謝罪を要求する人は多いですが、

まず すみません となる人って

いないように思います。

 

 

自尊心を取り戻した

と言えば そうでしょう。

男女関係なくビジネス世界の有りようで

日常すべてを生きているので

そうなるのかもしれません。

 

 

 

でも思うのですよ。

どちらがどう、とも言えない場合、

まず腰を低くする人がいたからこそ

なんとなくまとまってきていた

そんな社会だったのでは、と。

 

 

そのうちに 

そういう人たちが譲るのが当然!

というふうになって

それが定着してしまったのでしょう。

 

 

 

が、時代は変わって、

まず腰を低くしてくれる人たちが

いなくなってきました。

 

 

いつでもどこでも、ちょっとしたことで

謝れ! ときには 土下座しろ!

責めたてる側の人ばかりに

なりました。

 

 

学校の先生は

モンスター親の顔色ばかり見て

企業のお客様係は体調崩して

お客様窓口の電話番号が

載らなくなってきました。

 

心療内科は、予約がいっぱい。

 

 

 

まずは、自分悪くなくても

腰を折ってくれる人たちが

いてくれたからこそ

なんとなくまとまって形になっていた

社会だったのかもしれません。

 

 

 

名もなく、名誉もなく、

でも偉大だった人物というのは、

いなくなって初めてその存在のすごさに

気づくものですね。

 

 

誰がほんとうに必要な人なのか

その人がいなくなる前に

次々と明らかになってくる。

そういう新しい時代が

やってきています。

 

 

いなくなってしまう前に

そういう人たちを尊重していくことができる

そういう時代が始まっているのですね。

 

 

 

 

がんばっているひとも

 

 

がんばれないひとも

 

 

がんばらないようにがんばっているひとも

 

 

 

今日も、ありがとうございます。