みなさん こんにちは。
朝は雨が音を立てて降っていましたが
お昼近くになって薄日がさしてきました。
ベランダに影が映るのを久しぶりに見ました。
よく降りましたね。
さて、アラカンmotherが子どものころは
休日のお昼頃になると あちこちで
ブルグミュラーやソナチネなどの
ピアノのおけいこの音が聞こえてきました。
娘が子どもの頃には
減ってきてはいましたが、まだ
ピアノを習うお子さんは
多かったように思います。
そして令和の土曜日の午後
ピアノを練習する音は聞こえませんね。
住宅事情もありますし、
楽器や歌など音の出るもの
また、振動の出るダンス類も
苦情が来る場合が多いですね。
でもそれだけじゃないように思います。
ピアノは弾けるまでが、
手間ひまかかりすぎるのです。
まず、譜面を読めるようになる。
まず、鍵盤の位置がわかるようになる。
音を出してそれを楽しむという
実感を体験するまでが
時間がかかるのです。
人生最初に体験する音の分野であれば
歌やダンスやたいこ類の方が
楽しむ実感はより早く体験できますね。
でも、それだけでもないと思います。
そんなに手間ひまかけてマスターしても
人生に役に立つかわからないからです。
水泳や英語なら、これからの学業の
点数にプラスになります。
サッカーも体育の点数にプラスになります。
第一、高校くらいまで男子は
スポーツができる! ということが
モテる要素になりますからね。
今は野球よりサッカーのほうが
モテるでしょう。
体型の点でもね。
いつのまにか、子どものころから
将来に得にならないことは
しなくなってきましたね。
数字に結び付かないもの、
評価に結び付かないものは
与えなくなってきましたね。
学校に於いては
成績、偏差値という数字
社会人に於いては
業績、ノルマという数字です。
子どもって、何をするでもなく、
何を見ているのでもなく
ただぼーっと床にぺたっと
座っていることがありますよね。
母親はさっさと掃除をしてしまいたいし、
ドリルのひとつもやってくれないものか
と、思ってしまいます。
ぼーっとしていないで
やることやっちゃいなさい!
昔も今もお母さんの発する言葉
ベスト10に入ります。
自分の子どもが育って責任のない立場から
子どもたちを見るようになりました。
すると、面白いな と気づきます。
なんだか通信しているように見えるのです。
ぼーっと 何をするでも何を見るでもなく
宙を見ているそのとき、
彼らが遠くはるかな宇宙と
通信しているように見えるのです。
何の意図もなく、何かのためという
目的もなく、得もなく、損もなく
ただ心臓は動いて、呼吸もしている。
そんな時にだけキャッチできるような
ほんとに微妙な何かを
通信しているように見えるのです。
祖父母と同居している2世帯住宅は
母親にとっては気遣いのいることも
多いです。
けれど祖父母と孫にとっては、
双方によい環境です。
たとえば 小さい山に家族で
登っていることを考えてみると
わかりやすいです。
父親母親は、能率よく
こっちは遠回りになる
こっちは足元が岩場だ と、
アレコレ考えて最短の道を行きます。
そして頂上で腕を組んで待っています。
日頃社会で、能率効率で生きていますから
早いですね。
祖父母と孫は、ゆっくり同じころゴールします。
が、ゆっくりの理由は、違います。
祖父母は歩みがゆっくりなので
到着もゆっくりです。
孫は、小走りになったり、しゃがんだり、
横道それて道草したりして、
結果 到着がゆっくりなのです。
父親母親だけだったら 子どもは
遅い!
と言われてしまいそうです。
しかし祖父母も同じころに登って来ました。
誰にもおこられないし、楽しい。
双方にとって救いになるのです。
子どもは、ついこの間まで
お空の上の世界にいたのです。
祖父母は、再びお空の上に帰る日が
近くなっているのです。
たとえ能率は悪くてもゆっくりゆったりと
宇宙との通信をする時間を持つことが
必要なのかもしれません。
能率と効率と損得 の世界にいる
父親と母親より
それをキャッチするのは
まちがえなく得意でしょう。
こんなふうに何日も雨が続くような日には
猫と子どもを見習って
何もせずに
ぼーっとしてみましょうか、ね。
がんばっているひとも
がんばれないひとも
がんばらないようにがんばっているひとも
今日も、ありがとうございます。
。