みなさん こんにちは。

 

東京は 雲の多い日曜日となっています。

 

今朝も 早朝の散歩で

ウグイスの声をききました。

だいぶ上手になっていました。

春もいよいよ本番ですね。

 

 

 

 

さて、  昭和生まれのアラカンmotherは

こんなふうに書きながら、ふと思います。

 

 

 

何かを書くとか、言うとか

自分の内なるものを表現するときに、

必ず ある条件が必要な時代が

長く続いていたな、と。

 

 

 

ある条件というのはね、

 

東京大学教授 とか

元○○省勤務を経て とか

現 ○○会社代表取締役 とか

 

ですね。

 

 

 

本を買っても

奥付に 学歴や職歴など

ずらずらと表記されていましたからね。

 

 

ぱらぱらと

本屋さんで本をみるときも

まず、奥付を先に見たりする。

そんな 時代でした。

 

 

 

ふーん。  

本なんてものは、

ブランド大学のブランド学部。

どーだ!  って載せられない人は

ちょっと ムリなのね。

という 感じでした。

 

 

 

 

スピリチュアル という言葉が流行ってからも

平成の時代までは、

船井先生のように

そうそうたる経済界の大御所なのに

スピリチュアルも語る!

みたいに

○○なのに という

前置きというか 前提があって、

はじめて 語れる。

という なんとなくの空気がありました。

 

 

 

 

○○大学教授でもないし

○○代表取締役 でもないし

という立場で そんなことを語ると、

 

アブナイ人 感がもわもわして、

社会的な立場に影響ありました。

 

 

 

そういう  

これが見えぬか! という御印籠!

みたいなのがなくては

うっかり語れない

そんな気運が ありました。

 

 

 

そんなことに全然興味もないのに

毎日の物価 だの

子どもの成績だの

社内人事だの

 

あたりまえと思われている会話に

努力してきた人も 多いと思います。

 

 

 

 

平成の終わりから

ガラリとかわりましたね。

 

 

まあ、 本など、売れなくなりましたし

何につけ、プロフィールというものの

影が薄くなりました。

 

 

そして 手練手管の広告手法によって、

効果が出る  ということも

減ってきました。

 

 

 

 

 

何でも 良い面と悪い面がありますが

 

匿名 の文化がもたらした

良い」面のひとつですね。

 

 

 

 

さらに  令和にはいってからは

どこに所属しているか や、

親族 家族 など

 

その人の背後の風景に

あまり重きが置かれなくなってきました。

 

 

 

その人の背景や所属ではなく

まず、その本人がどんな人なのか を見て

おもしろがるようになってきました。

 

 

 

 

すごい学歴と職歴をずらりと持っている

すごい肩書きの人の研究 も、

 

 

毎日の生活のなかでつぶやいた

お母さんの料理や ホンネ も、

 

 

等しく 宇宙に漂う。

 

そんな時代になりました。

 

 

 

 

もう、 完全に

優劣  とか

いい  悪い  とかではなく

 

 

好き  嫌い

の世界になってきました。

 

 

 

 

昭和の時代の自分に

教えてあげたい気分です。

 

 

しつこくしつこく 生きていれば

こんな面白い世の中が 来るよ!

 

 

 

なにもかも等しく ただ、そこにある。

それだけですね。

 

 

 

好きなものを選択して

好きなことを表現して

ラクに呼吸をする。

 

 

うーん。

そんな時代を迎えています。

 

 

 

今 

どこにも居場所がないように 思っても

 

とにかく 

しつこくしつこく生きてみる。

 

 

それは、とんでもなくすごい才能なのだと

しみじみ思うのです。

 

 

もうこうなったら 

しつこくしつこく ね。

 

いい人は 早くいくのよ ねえ。

とか 

いわれちゃっても ね。

 

 

 

 

がんばっているひとも

 

がんばれいなひとも

 

がんばらないようにがんばっているひとも

 

 

 

今日も

 

ありがとう ございます。