今日はインドネシアの独立記念日。
インドネシアが独立78年目を迎えました。
休日の今日はみんなが家族と過ごしたり、道で「Lomba 17 Agustus」と呼ばれる町内会内ミニ運動会のようなイベントが行われたりしています。
日本にも「建国記念の日」が2月11日に制定されていますが、これは初代天皇とされる神武天皇の日本書紀における即位日、すなわち旧暦1月1日の月日を明治時代にグレゴリオ暦での具体的な日付として制定されたものとされています。
僕らにとっては初代天皇の即位日に日本ができたと言われてもいまいちピンとこないですよね。「建国記念の日」と言われても、国がどこかに支配されていたり、そもそも国としての体を成していなかったことをリアルに体験している人はいないので、「日本はこの日にできましたよ」と言われてもいまいち実感が湧きません。
しかし、インドネシアは違います。
78年前の今日、独立を宣言したことをリアルタイムで知っている人たちがいます。僕の義理のお父さんもその一人で、今年で85歳になりました。
#この写真は自らが仕切って開催した誕生日会の様子
#まだまだ元気すぎるくらい元気です
#長生きしてね
78年前に独立宣言が行われるまではインドネシアは国として認められていなかった。それはこの国が日本の植民地下にあったからですね。
インドネシアに暮らしていれば当然知っていることだとは思いますが、インドネシアに何の関わりもない日本人からすると、「え、そんなことあったんだ。知らなかった〜」って程度の認識なんですよね。
その前はオランダ(旧東インド会社)が約350年間に渡りこの国を「オランダ領東インド」として統治していました。
細かくみていけば、78年前に独立宣言をした後も再び統治しようと攻め込んできたオランダと1945年から1949年まで4年5ヶ月の間、独立戦争をしていたので、実質的に独立できたのはこの戦争の後ということになります。
この独立戦争でおよそ10万人の方が亡くなったとされていますが、その中に残留日本兵と呼ばれる日本が第二次世界大戦に敗戦した後も日本に帰国せずインドネシアに残り、インドネシア独立のために戦った方達がいます。
約1,000名の残留日本兵のうち半数以上がこのインドネシア独立戦争で命を落としたとされています。生き延びた方々の中にはインドネシア人の名前を名乗り、日本人としてアイデンティティーを隠しながら生きた人も少なくありません。
その後、帰国は遂に叶わず、愛する家族と再会することなく息を引き取った残留兵の方も多くいます。そういった方々が賭した命を礎にインドネシア・日本の関係は今日も繋がれていると確信しています。
そんな残留日本兵の方達の足跡を辿ることができるギャラリーがジャカルタにオープンしています。さらにはホームページもありますので、よければぜひクリックしてみてください。
福祉友の会(YAYASAN WARGA PERSAHABATAN)ホームページ
自分がインドネシアに渡ってきてからは今日で10回目の独立記念日になりました。
毎年この日を迎える度に「今日はインドネシアという国が生まれた日。だからこそ、一度独立したら独立し続けなければいけない(Hari lahirnya bangsa Indonesia Merdeka Sekali merdeka tetap merdeka)」と声高らかに歌う国民の皆さんを見て、そのエネルギーと誇りに感心させられます。
僕は自分の国に対して彼らほど誇りを持てているかな?
日本で生まれ育った恩を忘れずに、これからも両国の発展の為に少しでも貢献できればと想いを新たにしているところです。
改めまして、インドネシア共和国78回目の独立記念日、誠におめでとうございます。
これからも誇り高き紅白の旗を世界に掲げ続けてください。
ひろ。
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