今日は僕が毎日更新しているオンラインサロンから記事を一つ無料公開させていただきます。インドネシア音楽界からのニュースを紹介しています。

 

 

月額1,000円でメルマガ感覚で毎日のインドネシア関連の記事を読んでいただきながら、加藤ひろあきを応援していただけたら嬉しいです!それでは記事をどうぞ!
_________
2月28日(火)
__________
#今日の単語 :konser tunggal
読み方:コンセール トゥンガル
意味:ソロコンサート、単独コンサート

「kosner」は英語の「concert」からきている単語で、「tunggal」は「単一・シングル・ソロ」を表す単語です。これを組み合わせて「konser tunggal:ソロコンサート」となります。

「tunggal」の他の使い方で言うと「anak tunggal:一人っ子」なんてのもあるので、
併せて覚えてみてください!

⭐️女性ソロシンガー「Raisa」歴史にその名を刻む⭐️

今日はインドネシアの音楽界から一つニュースを紹介したいと思います。
皆さんは「Raisa」というアーティストをご存知でしょうか?

インドネシアに長く関わっている人なら一度は聞いた事があるアーティストの名前かと思うのですが、名実ともにインドネシアの女性ソロシンガーを代表する「Diva:歌姫」の一人です。

1990年6月6日ジャカルタ生まれで、本名は「Raisa Andriana」
デビューは2008年頃でインドネシアの有名プロデューサー「Kevin Aprilio」が作った「Andante」というバンドのボーカルとして活動をスタート。

グループ解散後はカフェやライブハウスのようなところでカバー曲を歌う日々からチャンスを伺います。その頃からシンガーとしての評判はかなり高かったそうです。

2011年、シングル「Serba Salah(「何をしてもだめ/手遅れ」といった意味)」が大ヒット、2012年にはインドネシア最大のミュージックアワード「AMI」にて最優秀新人賞を獲得して一躍有名に。この頃から「Universal Musik Indonesia」に所属。

その後は出すシングル、出すシングル全てがヒットし、毎年「AMI」で多数の賞を獲得。その美貌と重厚感のあるボーカルでインドネシアの歌姫としての地位を確固たるものにしていきました。

ちなみに彼女のスーパーヒット曲の一つである「Kali Kedua(2度目)」は妻アリーナのお姉ちゃん「Dewi Dee Lestari」作詞作曲の提供曲で、よくデウィ姉ちゃんも自分のライブで歌っていますが、「Raisaのカバーだね!」って言われて「いやいや、そもそも作ったの私だし」っていつも笑ってます(笑)

そんな「Raisa」が先日、インドネシア音楽史上初女性ソロシンガーとして「Stadion Utama Gelora Bung Karno」(日本でいう国立競技場)にて単独ライブを開催しました。

これまでこの「グロラ・ブン・カルノ」で単独ライブを開催した女性アーティストは歴史上存在しておらず、Raisaがその名前を歴史に刻むこととなりました。

「歴史上初」はもちろん一回しか起こらないので、未来永劫これが塗り替えられることはありません。これまでどんな有名な女性アーティストも成し遂げてこれなかった偉業です。素晴らしすぎます。

そのライブレビュー記事が音楽サイト「Pop Hari Ini」に出ていますのでシェアしておきます。

Perjalanan Lama Konser Raisa Lunas dalam Semalam

 


記事の内容をかいつまんで書いておくと、いくつかの舞台上・演出上でのミスはあったものの、その変わらず美しい歌声と歴史に名を刻んだことそのものに対する評価は揺るがず、観客動員やその誘導・管理も含めて素晴らしいライブであったことに疑いはないということ。

僕もできればこの歴史的ライブをその目で観てみたかったのですが、このライブが行われたのが土曜日で、ちょうど「ROU」のバティック展示会でのライブと重なってしまっていたので観ることは叶いませんでした。

今日はその内容をレビューするというよりは彼女のここに至るまでの足跡を少し説明してみたいと思うのです。

Raisaとは2015年頃に初めて会ってから、イベント等で一緒になることもあり、デウィ姉ちゃんと仲がいいことも手伝って、ちょくちょく色々なところで挨拶をさせてもらっていました。

世間一般的にはクールで美しく、生粋の歌姫、みたいなイメージを持たれがちですが、実際のRaisaは友人たちから「Yaya」の愛称で呼ばれていて、気さくでよく笑うどちらかというとおてんばな女の子です(笑)

そんなRaisaが「グロラブンカルノ(通称:GBK)」で単独コンサートを行うという発表がされたのが2019年末。開催予定は2020年6月27日予定でした。

しかし、皆さんご存知の通り、2020年3月にインドネシアで初めての新型コロナウイルス感染者が報告されてからパンデミックが始まり、そこから2年間観客を入れてのイベント・ライブ・フェスは一切行われませんでした。

例に漏れず、RaisaのGBK単独コンサートも無期限の延期が発表されました。

Raisaは2017年にオーストラリア出身のインドネシア人で、俳優・タレント「Hamish Daud」さんとの結婚を発表。翌2018年に妊娠・第一子出産に伴い1年間の活動休止期間に入りました。

その間にGBKは改修工事が終了し、2019年からRaisaは音楽界に復帰しました。

しかし、結婚した2017年を境に、少なからず存在していた「独身」のRaisaを応援していた男性ファンがたちがRaisaから離れていくということが起こり、1年間の活動休止の間に新たなDiva候補が続々とその名を上げていたこともあり、Raisaの音楽界における立ち位置は2018年まで維持していた、いわゆる「独り勝ち」という状況ではなくなっていました。

発売するシングルもかつてほどのスマッシュヒットとはならず(まあ、それでもとんてもない数聴かれていますが…)、実は関係者の間でもRaisaのGBKでの単独コンサートは2020年ですらその開催を疑問視されていました。直接そういう話を聞いたこともありますし、そのような論調での記事も見かけました。

GBKの収容人数は8万人以上。半分はステージ等々で潰すとしても単純計算で残りの4万席は埋めなければなりません。2020年から無期限の延期が発表され、RaisaはもうGBKではライブを行わないのではないかとすら囁かれていました。

その状況を覆し、リスクを背負うのは覚悟で、RaisaのチームはGBKライブを敢行する決意を固め、先日の歴史的瞬間と相なりました。

ただどんなリスクを背負っても「歴史上初」のタイトルを獲りにいくことに大きな意味があったし、その歴史上初の出来事を目撃したいという人たちが確実に存在しているというところに勝算があったのだろうと。それでも大きなリスクを跳ね除けての興行には本当に頭が下がります。


実際、事前のコンサート開催の記者会見でも「歴史上初」は大きく強調されていました。でも、その快挙を一緒に喜んでくれる仲間・家族、スタジアムを埋め尽くすファンがいるというのが何よりRaisaのこれまでの功績と素敵な人柄を物語っていると思います。

明確な目標を定めて、それを実現する為に困難を一つ一つ乗り越え、一歩一歩あゆみを進めていく。文字で書けば簡単ですが、それをチームとして愚直にやり遂げるということは生半可なことではありません。

自分もそこから学びと刺激を受け取り、より大きな挑戦を諦めずに続けていこうと思えました。改めて、RaisaさんGBKでの単独ライブ開催おめでとうございます。

今後の活躍も見守りつつ、自分もがんばります。

今日はRaisaさんの音楽史上初の快挙のニュースをお届けしました。
それではまた次回の記事でお会いしましょう。
テリマカシ。