本編に入る前に告知をさせてください。

2021年10月4日(月)に以下のイベントに出演させていただきます!

 

 

「Bank Indonesia Bali」主催の「Breaking Through The Japanese Fashion Industry」と題されたウェビナーです。今回、在東京インドネシア大使館との協力の下バティックデザインコンテストなども実施されていて、インドネシアの文化とファッションを組み合わせたプロジェクトなどをどんどん創出していこうという気概に溢れています。

実際にそういったプロジェクトを手掛けている方々がゲストスピーカーとして登壇予定なので、興味がる方は是非Zoomでイベントに参加してみてください。

すでに500人以上の方の参加申し込みがあるそうです。

 

ちなみに加藤ひろあきはゲストとしてイベント内で歌わせて頂きます!

どうぞお見逃しなく。

 

 

 

さて、今日も「PPKM:公衆活動制限」が発令されているインドネシアはジャカルタから記事を更新していきます。

本日インドネシアは10月2日は「Hari Batik Nasional:ナショナルバティックデー」です!

 

何故、10月2日が「ナショナルバティックデー」なのか。

その辺りも含めて見ていきましょうー!

 

 

12年前の今日、インドネシアの「バティック」がUNESCOの無形文化遺産に登録されました。バティックは2003年の影絵芝居ワヤン・クリット、05年の伝統的な短剣クリスに次ぐ3件目の無形文化遺産登録となりました。

 

 

バティックのWikipediaも貼っておきますね。

 

 

国連のウェブサイトにはこのバティックが生まれた時から死ぬ時まで着用されるものとの紹介があり、生まれた時に身体に巻かれるものであり、亡くなったときにその亡骸にも巻かれるものであると。もちろん日常生活からフォーマルな場面まで様々なシチュエーションで着用されているバティックではありますが、始まりから終わりまでバティックと共にあるという点が興味深いということで紹介されています。

 

 

ナショナルバティックデーは第6代目スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領の時にバティックのUNESCO無形文化遺産登録を祝して制定されました。

10月2日は必ずバティックを着用することと義務付けられています。

今年はたまたま土曜日なのであえて外出しようとしないとバティックを着て出かけるということになりませんが、ナショナルバティックデーが平日に当たった時は街中の人がみなバティックを着ているという光景も見ることができます。

#「ナショナルバティックデー?関係ねーよ」って人もたくさんいますが(笑)

 

バティックの語源はマレー語の「anba:大きな布」と「(ti)tik:点」という二つの言葉が掛け合わされて「Batik」となったと言われています。要は大きな布に点を多数描き込みモチーフを作っていったものを指します。

この布がシャツや腰布などに利用された物も総じて「バティック」と呼びます。

本来は「バティックシャツ」とか「バティックバッグ」「バティックサルン(腰布)」とか言うのが正しいのでしょうが、「バティック」と呼ぶものにはこれらすべてが含まれている感じで使われています。

 

 

記事の中でも紹介されているバティックに関する簡単な流れを示した図がこちらです。14世紀にアラブ、中国、インド、マレー文化が融合し、現在の何千というモチーフが生まれる礎ができました。

 

1873年にはVanRijekevorselというオランダ人がジャワバティックを母国に持ち帰り、ロッテルダムにあるエスニックミュージアム(民族博物館)に寄贈したと言われています。

 

その後、バティックはインドネシアでオランダ統治の下、縫製の技術の発展などと相まってどんどんと進化を遂げていきます。数多のモチーフが創造され、日常にも入り込んでいきます。

 

1942年にはオランダ統治から日本統治に変わり、ジャワ地方に「Batik Hokokai:奉公会バティック」なるものが生まれました。

 

 

 

こちらが「Batik Hokokai」のモチーフなのですが、一つの布に二つのモチーフが描かれています。これは朝と夕をイメージして描かれているのですが、「贅沢は敵!」とされていた時代に一つの布で1日中過ごせるよう、片方に朝に着用できる柄を、もう片方に夕方や夜に着用できる柄をあしらっているのが「Batik Hokokai」の大きな特徴とされています。

 

非常に詳細な柄で手の込んだデザインでありながら、特別な階級の人たちが着用していたのではなく、むしろ一般の市民、しかも貧困層が当時は着用することが多かったと記事の中には書かれています。

 

1994年にはボゴールで行われたAPEC会議の中で当時のアメリカ大統領ビル・クリントンを初めとする各国の首脳たちがそれぞれの国のシンボルが描かれた特別なバティックを着用し話題となりました。

 

(ソース:http://kebudayaan.kemdikbud.go.id/muspres/batik-dan-ktt-apec-1994-di-istana-bogor/

 

(ソース:https://www.cendananews.com/2015/10/soeharto-membuat-tradisi-baru-ktt-apec-melalui-batik.html

 

そして、2009年にいよいよ満を持して「バティック」はUNESCOの無形文化遺産に登録されました。そして、現在も様々なものにバティックが使用され新たな商品が生み出され続けています。

僕もライブやイベント出演の際にはほとんどバティックを着ていますし、お洒落なバティックファッションもどんどんアップデートされ、増えている印象です。

 

日本でも様々なところでバティックを見かける機会も増えてきているのではないかなぁと感じています。これからもバティックの勉強を続けながら、積極的に身につけていきたいと思います。

 

 

バティックの話は「さらさオンライン」さんでもお話させて頂いたりしてるので、こちらもよかったら読んでみてください。

 

というわけで、今日はインドネシアの「バティック」と「Hari Batik Nasional」についてご紹介しました。インドネシアにいる人も日本にいる人も、その他の国にいる人も今日はバティックを着て「ナショナルバティックデー」をお祝いしましょう!

 

あなたにとって、今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。

 

ひろ。