本編に入る前に告知をさせてください。

8月22日に行われる震災10年復興記念事業「気仙沼インドネシアフェスティバル」に加藤ひろあきの出演が決定しています。

 

 

当初はオンラインとオフラインの融合イベントを予定していましたが、宮城県が独自の緊急事態宣言を発令したことを受けて、オフラインの会場でのイベント参加はできなくなり、完全なオンラインイベントとなりました。

 

 

加藤ひろあきのライブは元々オンラインで行われるものなので、引き続きお楽しみ頂けます。以下のページから詳細をご確認ください!

 

 

日本からもインドネシアからも、その他の国からもどしどし参加をお待ちしております。よろしくお願いいたします!

 

さて、今日も「PPKM Level 4:公衆活動制限レベル4」が25日目を迎えたインドネシアはジャカルタよりブログ記事を更新していきます。

 

今日は新型コロナウイルスの話題ではない話をさせてください。

8月15日の今日は日本では「終戦の日」ですよね。

正式な名称は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされているそうです。

 

1945年8月6日に広島に原爆が投下され、1945年8月9日に長崎に原爆が投下され、それを経て1945年8月15日、ポツダム宣言の受諾と日本の降伏が玉音放送によって国民に知らされたこの日、第二次世界大戦は終戦しました。

 

インドネシアに来てからも8月は毎年、この立て続けにやってくるそれぞれの日に手を合わせ、平和を祈る月として僕も想いを馳せています。

「戦争」もいわゆる「戦後」もリアルタイムで経験していない自分だからこそ、改めてその出来事に触れ、この世で起こった現実に目を向けることが必要だと思っています。

 

今年の8月6日は金曜日だったこともあり、毎週のYouTubeでの定期配信の日だったので、観てくれている視聴者の皆さんと一緒に黙祷をさせて頂きました。

 

#その時のアーカイブがこちらです。

 

世界で唯一の被爆国の国民の一人として、過去に起こったことを伝えていくのはある種の義務だと思っています。インドネシアの人たちにも説明をして、一緒に「黙祷」をしてもらうことで少しでもこの現実を共有できたらと思いました。

#もちろん強制はしません

 

8月9日はちょうどバンドメンバーとの撮影を行なっていたので、そこにいるスタッフも含めて黙祷をさせて頂きました。

 

そして、今日の「終戦の日」

僕は残留日本兵二世の「ヘル・サントソ衛藤」さんとのご縁で、インドネシアの南ジャカルタにある「カリバタ英雄墓地」に参拝させて頂きました。

 

 

カリバタ英雄墓地がどんなところなのかは、wikipediaを読んでみてください。

 

 

「インドネシア国内の国立英雄墓地に埋葬されているのは、インドネシア独立戦争に参加した戦績のある者で、性別・宗教・種族は問われない。カリバタ英雄墓地には約7千人が埋葬されていて、戦後生き残った元戦士も、没後はここか国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっている。」

 

と書かれている通り、ここにはインドネシア独立戦争に命を賭して挑み、倒れていった方達が埋葬されています。日本はインドネシアを植民地としておよそ3年半に渡って統治していました。その中で迎えて「終戦の日」、日本軍は撤退をするわけですが、その撤退に加わらず、インドネシアの為に戦った日本人がいました。

その方達が埋葬されているのがこの「カリバタ英雄墓地」なのです。

もちろん、ここに埋葬されている方が全てではなく、インドネシアの各地に埋葬されている元日本兵の方はいるのですが、多くの方はここに眠っています。

 

今日はその中の一人「衛藤七男」さんの子孫である「衛藤・ヘル・サントソ」さんにお招き頂き、「衛藤七男」さんの墓前で手を合わせ、お線香を立てさせて頂きました。

 

 

ちなみに、僕の右隣にいらっしゃるのは大塚製薬インドネシアの社長で、今回のカリバタ英雄墓地参拝を企画し、お声掛けを頂いた板東さんです。

#坂東さんありがとうございます。

 

 

こちらに写っているのは残留日本兵二世、三世のみなさん。

 

 

インドネシアはよく「新日の国」と言われます。

細かく見ていくと果たしてそうだろうかと思うところが出てくるというのは少し置いておいて、一般的にそのように言われています。

実際に日本人ということで温かく迎えてくれる場面はインドネシアに住んでいれば誰もが経験することだと思いますし、「日本が好き」だと言ってくれる人が多いのは確かです。

 

それはもちろん日本の「アニメ」や「漫画」、「ドラマ」や「音楽」などのポップカルチャーやエンタメが多大な影響を及ぼしていることは間違い無いのですが、植民地として統治されており、「Romusha:労務者」という言葉もインドネシア語に残っているようにかなり厳しく、過酷で残忍なことが行われていた事実もある中で、どうしてインドネシアで日本人が忌み嫌われていないのかという理由の根底には、こうして様々な理由や立場はあれど、インドネシアの為に戦い、独立を勝ち取る為に戦った残留日本兵の皆さんの存在と功績が間違いなくあります。

 

僕が今、こうしてインドネシアでエンターテイメントを自由にやらせていただいているのも、ともすればこういった先人の皆さんが築き上げてきてくれた大きな大きな架け橋の上を歩かせて頂いているのだと言うことができると思います。

だからこそ、今日参拝し、献花して出てきた言葉は「ありがとうございます。Terima kasih」でした。

 

そんな思いもあり、自分はここ数年「架け橋になりたい」ということはインタビューなどでもなるべく言わないようにしています。その代わりに「砦」になりたいと言っているのですが、その表現が正しいのかも未だにわからないのですが、橋はもうずっと昔から架かっていると思うのです。

だからこそ、自分はその橋が壊れないように、もしそういった危機が訪れたらその橋を攻撃から守れるような、そして砦を訪れてくれた人にはその橋をかけてくれた方の話をできるような、そんな存在になりたいのです。

 

「加藤ひろあきはインドネシアと日本の架け橋になっている」と言っていただくことはとても嬉しいですし、それを否定するつもりはカケラもなく、いつも心から「ありがとうございます」という気持ちなのですが、自分が「そこを目指しています!」というのは違うなと思っています。

 

今日はそんな思いをまた新たにすることができた1日になりました。

「終戦の日」にやっとヘルさんと一緒に訪れることができた「カリバタ英雄墓地」。

そこに眠るすべての御霊に合掌。

ありがとうございます。

明日からも懸命に生き抜きます。

 

 

今日の空は青く青く澄んでいました。

祈るだけでは何も変わらないのかもしれませんが、それでもやっぱりこの世界の

平和を願わずにはいられません。

まずは自分にできることからやっていきましょう。

 

それではあなたにとって、

今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。

 

ひろ。