新しい一週間のスタートです。

いや、しかし広辞苑を見ると「週の始めは日曜日が基本」と書いてあるんですよね。

暦の会「暦の百科事典」に「週と旬」、「週の始めは日曜日か月曜日か」について、「現在の七日週の習慣は、もともとユダヤ人から起きたもので、それは「聖書」に由来する。「旧約聖書」の創世記には、神が六日のうちに天地万物を創り、七日目に休んだと記されている。 その日が安息日(サバット)で土曜日に当てられている。ユダヤ人は、この日を安息日としたが、この習慣がキリスト教徒に引き継がれた。キリスト教では、週の始めの日はキリスト復活の日、主の日とした。これが日曜日である。」とされていました。

と、 https://www.stat.go.jp/library/pdf/minigougai01.pdf に書いてありました。

僕個人的には毎日が仕事で毎日が休みでもあるので、曜日の感覚とかは曖昧なんですが、こうやって当たり前に僕らが考えていることも元を辿っていくと意外と「え、そんな理由でこのルールできたの?」って思うことも多いので、今あるルールに盲目的に従うのではなく、少しその出自を調べるだけで随分人生豊かになるんじゃないかなと思ったりします。

 

今の世の中、インターネットに大体の答えは落ちてますしね。

でも、そう言う時代だからこそ検索する力が問われていて、まずそもそも疑問に思わなければそれを検索しようともしないので、視野はどんどん狭くなっていきます。

インターネットってある意味ですごく閉じられているよね、というような話を昨晩、「カギ屋のくまさん」と話していました。

 

 

「カギ屋のくまさん」って何者?

 

#写真は 「NNA ASIA」記事より

熊谷直人
(クマさん)

20年以上に渡りセキュリティー事業に携わる『リスク・マネジメント』の専門家。
マンションなど建築設計におけるアドバイザーや、内部犯行を防ぐための企業顧問としての実績も持つ。
特に、『ハイセキュリティ・キー製造』の監修をするほど精通している『鍵』の分野においてはスペシャリスト。
2015年よりインドネシアにて、地域コミュニティや企業向け『防犯セミナー』の開催、日本人向けフリーペーパー上でのコラムの執筆など、精力的に『防犯』の啓蒙活動を行っている。

くまさんが経営する「Golden Key International」のホームページのプロフィールより拝借。

 

おぉ、海外で生活するにあたってこういう防犯やセキュリティーのプロの方がいてくださるのは非常にありがたい!!ということで、僕も以前からお世話になっております。テリマカシ。

 

そんなくまさんは若い時に職業作曲家として楽曲の制作でご飯を食べていた事もある面白い方で、今となっては鍵・セキュリティーのプロですが、音楽にも精通されているとっても面白い人です。

 

最近では防犯・セキュリティー関係のセミナーも定期的に行っていて、さらには各種メディアでも防犯の解説などしているので、ジャカルタにお住まいの日本人の方にはお馴染みかと思います。

そんなくまさんと久しぶりに膝を突き合わせて、ゆっくりとお話しすることができました。

 

#お皿がいっぱい空になってますね

#食べ物がある時に写真撮ればよかった

#お腹いっぱいです

#昨日も行きつけの「串むすび」さんにお世話になりました

#テリマカシ

 

くまさんは以前から僕の活動を熱く応援してくれていて、それはそれは感謝なのですが、昨日も熱く相談に乗ってくれました。

 

「オンラインアコースティックライブ」の感想ももらえて、演出や音楽に関して今後に活かせそうなアイデアを頂きました。テリマカシ。

 

 

そして、話は音楽や活動から経営や人材育成、人生まで多岐に渡るテーマに。

その中で特に印象深かったのが、「自分は何をしている時が楽しいのかを把握する」という話題でした。

 

くまさんはインドネシアに渡ってくる前、日本で自分の会社を経営していたそうです。

この会社ももちろん鍵屋・セキュリティー・防犯の会社で、そこを他の人に任せてパートーナデーある「メガネ君」こと木本さんと二人でこちらにこられて、今も多くの邦人の方の安全確保に寄与してくれています。

 

 

このインドネシアに渡ってくるきっかけともなった想いが「自分は何をしている時が一番楽しいのか?」という問い。

元々は鍵職人、防犯のプロフェッショナルとしてバリバリ現場に出向いて行って働いていたくまさん。

そこでのリアルな学びや発見、そして何よりセキュリティーを通した人との関わりの中で仕事にやりがいを見出し、これを天職と感じていたそうです。

そこから自分で会社を持つようになり、10年ほど経営し、社員も増え、背負わなければならない責任も増え、だんだんと現場から遠ざかっていくことに。

 

側から見れば自分の会社を持って、経営して、満足いく稼ぎも得ることができて、順風満帆に見えていたと思うのですが、くまさん自身はそこに違和感を感じていたと。

そこで会社を飛び出して、日本すらも飛び出して、このインドネシアに飛び込むわけですが、その状況って自分のケースと似てるところがちょっとあるんですよね。

 

僕もインドネシアに渡ってくる前の1〜2年はずっと同じような違和感を感じていました。

自分の夢である音楽や芸能の活動は鳴かず飛ばずなのに、ご飯を食べるためにと行っていたインドネシア関係の仕事はあれよあれよと上手くいきました。

上智大学でインドネシア語を教え始め、語学学校からも声がかかり、企業の研修でも教え始め、インドネシア大使館にで入りしながら通訳をやって、CowCowさんの「あたりまえ体操」を訳したらインドネシアで大ヒットし、小説「虹の少年たち」も翻訳して出版することができました。

これらすべて、僕が移住を決める1〜2年前に起こったことです。

 

側から見ればあらゆることが順調という感じだったと思いますし、実際にお金の面から考えても十分に頂いていました。しかし、自分の中のリトルカトーは「お前、このままでええんか?やりたいこと、ほんまにやれてんのんか?」と僕に問い続けていました。

#急なエセ関西弁

 

その結果、僕もやっていた仕事を全てやめて、インドネシアに飛び込んできたわけです。

 

くまさんは、このインドネシアに来てから久しぶりに徹底的に現場仕事をするようになります。日本の会社経営時代には遠ざかっていた現場、そこで再び働いてみると感じられる人と人との交流の温かさ、くまさんはこれこそ自分が一番楽しいと思えることだとインドネシアに来て確信したそうです。

 

加えて、新型コロナウイルスのこの状況で人と人の関わりというのはより尊いものになりました。

くまさんははっきりと、これからも「人と人」との関わり、繋がりの中で自分は生きていくし、その繋がりを通じて少しでもその人たちの人生の役に立てたらと仰っていました。

 

僕も今、その部分の重要性を改めて感じているところで、出来るだけ多くの人に会って、直接話しをして、歌や想いを受け取ってもらえる人を増やしていきたいと思っています。そして僕もまたそれが好きなんですよね。その為に音楽をやっているんです。

そのことに対しても、くまさんは共感し、温かく応援してくれました。

 

「加藤くんの音楽やメッセージはもっと多くの人に届くべき」

 

と伝えてくれたのが何より嬉しかったです。

貴重な時間をありがとうございました。

昨晩も学びがあり、そしてパワーを山ほど頂きました。

感謝、感謝。

 

というわけで、あなたにとって

今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。

 

ひろ。

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今日は「奏」のインドネシア語バージョン!!