まずは今晩行われます「YouTubeオンラインアコースティックライブ」、どうぞ宜しくお願い致します。
インドネシア時間20:00(日本時間22:00)からの1時間1本勝負で生放送、ひたすらに歌わせて頂きます。2020年3月に新型コロナウイルスがインドネシアに入ってきてからの1年間はオフラインのイベントは全くと言っていいほど開催されなかったですし、オンラインのイベントも思ったより多くはなく、本当に歌う場所がありませんでした。
毎週の自分の定期配信で必ず一曲は歌ってはきましたが、ライブという形でまとまった曲数を演奏するという機会は新年ライブに一度ありましたが、それ以外は皆無でした。なので、今日はもう思う存分歌いたいと思っていますので、どうぞお付き合い頂けますと幸いです。宜しくお願い致します。
昨日の「ソトベタウィ宮本」についての記事に多くのコメントを頂き、その中には実際に最近このレストランでソト食べました!という反応もあり、嬉しかったです。
オーナーの宮本さん、店長のミコちゃんからも連絡もらえて、嬉しかったです。
日本に帰ったらすぐに食べに行きます!
さて、今日も「00:00 Studio」でブログ更新をライブ配信しながら記事を書いているのですが、BGMで流れているのが「Nike Ardilla」というアーティストの楽曲です。
今日はその「Nike Ardilla」について書いてみたいと思います。
◆星になってしまった歌姫「Nike Ardilla」◆
突然ですが、本日3月19日は「Nike Ardilla」さんの命日です。
インドネシアの各メディアも毎年のようにこの日は「Nike Ardilla」さんを偲ぶ記事を出しています。
上に紹介した記事はその事故を起こした車に同乗していたアシスタントの方が改めて事故の際の状況を説明していることで大きな記事になっています。
1995年3月19日に19歳というあまりにも短い生涯に幕を降ろしてしまった「Nike Ardilla」さん。
3月19日の早朝5:30頃、自らが運転をする車の事故でこの世を去ってしまいました。
1975年12月17日生まれのNikeさんは、10歳の時からすでに歌手としての才能を発揮、当時の敏腕音楽プロモーター「Danny Sabri」さんに見染められ、プロシンガーとしての道をスタートさせます。
若干14歳にしてリリースしたアルバム「Seberkas Sinar」が瞬く間に大ヒットを記録し、新人としては異例の50万本を売り上げ一躍トップスターへ。
#当時はカセットテープでの販売
#あとになってCDもリリースされているyo
その後は毎年アルバムをリリースし、歴史的な売り上げを記録し続けます。
「Bintang Kehidupan (1990) 」:200万本
「Nyalakan Api (1991)」:175万本
「Matahariku (1992) 」:150万本
「Biarlah Aku Mengalah (1993) 」:200万本
「Biarkan Cintamu Berlalu (1994)」:125万本
「Sandiwara Cinta (1995)」:200万本
#この頃は偽物も多く出回っており、売り上げは推定です
(CNN Indonesiaより引用: https://www.cnnindonesia.com/hiburan/20190319181228-227-378815/nike-ardilla-elvis-presley-betina-dari-tanah-sunda )
さらに、Nikeさんのアルバムはマレーシアでもリリースされており、なかでも「Biarkan Cintamu Berlalu (1994)」のマレーシア版「Duri Terlindung (1994) 」は125万本を売り上げたとされています。
#「Panggun Sandiwara」- Nike Ardilla
Nikeさんの活躍は音楽界だけに止まりません。
モデルや女優としても活躍し始めたNikeさんは、19歳で亡くなるまでに7本の映画、11本のテレビドラマでメインキャストを務めました。
この事故前日もBogorという場所で昼の11:00から撮影が行われていました。
19:00撮影を終え、雑誌の取材の為20:00にボゴールを出発し、バンドンに戻ってきたのが23:00。
帰ってきて両親と会い、軽く挨拶をして、00:00過ぎに友人やクルーと合流。
夜中の1:00に仕事を終え、友人たちとご飯を食べながら話して気づけばAM3:15。
4:00にホテルに戻り、少し休みながらここでも引き続き友人と話しながら過ごし、早朝5:30頃に撮影地のボゴールへと戻る為にホテルを出て運転を開始。
ちなみにそのボゴールでの撮影開始予定時刻は8:00だったと言われています。
アシスタントのAtunさんは「私が運転する」と申し出たものの、大丈夫だとNikeさんが運転。そしてバンドン市内で件の事故と相なってしまいました。
このニュースは当時インドネシアに非常に大きな衝撃を与え、多くの人が彼女の死を悼みました。
最後にNikeさんの楽曲で僕が好きな「Seberkas Sinar(一筋の光)」という楽曲を置いておきます。
19歳とまだまだこれから様々な可能性を秘めていた「Nike Ardilla」さん。
26年経った今も多くのインドネシア人が彼女を偲び、その作品を聴き続けています。
19年という生涯を全速力で駆け抜けて行った「Nike Ardilla」さんのご冥福を改めて心よりお祈り致します。
故人を思い出すことが供養になると、どこかで読んだことがあります。
となると、今も輝く作品と共に「Nike Ardilla」さんは思い出してもらえるのである意味では幸せなのかもしれないですね。
自分もそういった作品を遺せるように、これからも音楽を続けたいと思います。
それではあなたにとって、
今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。
今晩のアコースティックライブ配信でお会いしましょう!
テリマカシ!!
ひろ。