すいません、昨日、今日とインターネットスピードが遅い環境におり、ブログをライブ配信出来ておりませんが、今日も元気に更新していきたいと思います。

いつも読んでくださっているあなた、テリマカシです。

今日初めましてのあなた、楽しんでいってください!

 

水曜日からバンドゥンというジャカルタから車で3時間くらいの街に滞在しています。

昨日簡単にご紹介した通り、バンドゥンは素敵な景色が至る所に広がる奥さんの育った高原の街です。

アリーナのお姉ちゃんで、プロのジャズピアニスト・シンガーでありながら、先日建築学・社会環境分野で博士号を取得したイメルダ姉ちゃんと息子のミカくんにも会ってきました。

 

この街で色々な人に会い、色々な景色を見て、自分の狭まってしまった視野を少しずつほぐしていっている感覚です。

この1年間、仕事以外ではほとんど部屋に閉じこもっていたので身体も思考もがどんどん窮屈になっていっている気がしていました。

 

世界は広く、空は高く、自分なんてちっぽけだと思えたことが最高の収穫です。

 

自分で自分の可能性に蓋をして、檻を作って閉じこもってしまうのは実は簡単で、卑屈になったり、他人を羨んだり、粗を探して突っ込んでマウントを取るなんて言ってしまえば誰にも出来ることです。

 

そういう瞬間は、そこに逃げ込んでしまう瞬間は、確かに沢山あるけれど、それでは何も変わらないということを実感を伴って理解しました。

何もこれは今に始まった真理でもなんでもないのですが、実感を伴って思い出して、またどこかで見失ってを繰り返す、何とも効率の悪い人生です(笑)

 

そう考えると人間って効率悪くないですか?

生まれた時は全てリセットされて生まれてきて、また積み上げていかなければいけない。僕が今この人生で感じたこと、経験したこと、学んだことは誰にも引き継ぐことは出来なくて、それを蓄えて抱えて生き抜いた末に手放してなかったことになって、またどこかへ。

 

このブログだって、「アメブロ」ってものが続く限りはインターネット世界にこうして置かれているけれど、「はい、今日で終わり」ってなったら、それでもうさようならです。以前のブログはそれで無くなりましたもんね。

#お知らせが1ヶ月前からあったのに

#バックアップ取ってなかったかとひろが悪い

 

そう考えると、偉人が本を執筆するのも頷けます。

本なら残る可能性あるもんね。少しでも自分が経験したことを後世に伝えたい、と。

少なくともインターネットみたいにポチッとされて終わることはない。

でも、燃やされちゃうけどね。灰にされちゃう。

じゃあ、これもダメか。

 

でも、残った書物や研究成果を活かして、ここまで発展してきた人間って改めて凄いですよね。自分がその発展と進化にどれくらい寄与できてるのかわからんけど。

 

だから脳を研究して、いつか外付けハードディスクのように生まれてゼロからのスタートじゃなくて、基礎知識が予めインストールできて人生をスタートできたらどうなるんだろうと考える人がいても不思議じゃないですよね。

マトリックスみたいな世界。

脳にUSB刺したり、チップ埋めたり。

 

いちいち同じ学びのプロセスを繰り返す無駄を減らそうよって。

RPGゲームにたまにある「強くてニューゲーム」みたいなやつ。

そうなると人間の進化は、技術の進歩は今と比べ物にならないスピードで進んでいくんですかね?

 

無駄と思われることは省いて、必ずしも自分で獲得したわけではない知識で生きていく。それは果たして幸せなんですかね?

いや、「自分で獲得したわけではない」という感覚すらなくなるわけだから、それはそれで幸せなのかもしれませんね。

 

でも、僕は昭和生まれの人間なんで、一見無駄に思えるような物事にこそ実は価値があって、それを拾って育てていく楽しみもあるよなって思ってるんですよね。

前にもブログで書きましたが、だから紙の辞書を引くのが好きなんですよね。

狙った単語を調べる時に、その周辺に面白い知らなかった単語が落ちてたりする。

それを拾って、いつか使ってやるひひひ、と。

いや、結局一回見ただけじゃ覚えられるはずもなく恐らく使えないんですけど(笑)

 

でも、狙った単語の意味を調べるってのがゴールだとしたら、その他の単語に寄り道するってのは無駄なことで、でもそれが必要ないのかと言ったら絶対そうじゃないから、人生面白いのだと思います。

 

あとは「忘れることが出来る幸せ」を考えることがよくあります。

辛いことや悲しいことは人生に数えられないほどあって、でも人間って記憶することもできれば、忘れることもできるから、本当によくできてるなと思うんです。

 

記憶は時が経てばどんどん曖昧になっていきます。

忘れたくないのに忘れてしまうことがあるのも確かなんですが、それでも忘れることで救われることの方が多いのではないかなと思ったりします。

 

「他人を知らなければ裏切られる事も、互いに傷付く事もない。でも、寂しさを忘れる事もないよ。人間は寂しさを永久になくす事は出来ない、人は一人だからね。ただ忘れる事が出来るから人は生きて行けるのさ」とエヴァンゲリオンの中で渚カヲルが碇シンジに言ってましたね。

 

そう、それは真理かなと思います。

3.11の震災に接していて、話を聞いていても、同じように感じたことがあります。

僕らはあの震災を忘れないように、未来に活かしていかなければいけないけれど、当事者の方達は「忘れる」「記憶に霞がかかっていく」のは決して悪いことではないんだろうなと。

 

だから、僕は脳に何かをインストールしなくていいし、無駄だと思えるようなプロセスも嬉々として人生の糧にしていきたいと思います。

効率悪いかもしれんけど、それでいいや。

 

そんなことを考える2月最終日でした。

いい日曜日にしてくださいね。

 

それではあなたにとって、

今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。

 

ひろ。

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そんな今日はスキマスイッチさんの「奏」のインドネシア語バージョンをお送りします!