「マツコ会議」出演への反響、ありがとうございます!
昨日は本当に1日中、PCに向かって皆さんから頂いたコメントやメッセージに目を通し、返信をしていました。
Line、Twitter、Facebookにはそれぞれ100件くらいメッセージが着ていて、Instagraは50件くらい、gmail、携帯のメールに少々っていう内訳でした(笑)
昨日の記事にも書きましたが、日本のテレビキー局の番組、しかもマツコデラックスさんの出演されている人気番組「マツコ会議」、本当に沢山の方が観ているのだなと感心しました。
巷では「テレビはオワコン!」とか言われていますが、やっぱり観ている人は多くいて、この文化がなくなることはなさそうです。
「テレビはオワコン」はもっと解像度を上げて、因数分解して捉えないといけない事象なんでしょうね。
中には終わったり、廃れていく番組はあるけれども、だからこそ「尖った部分」を残せる番組はどんどん需要が高まるのかなとか。
そうすると、テレビ東京とかが強いのか?とか(笑)
なにせ、判で押したように同じようなフォーマットで展開される番組の数々に視聴者の一部は辟易としてるわけじゃないですか。
もっと尖ったやる観たい!の反動がYouTubeへの流れだったり、Netflixへの流れだったりしたわけで、、、でも姿の見えない「クレイマー」に配慮しなければならない、それは「スポンサー」で成り立っているからですが、そういう状況下のテレビはなかなか尖れないというのが現状なんですよね、きっとね。
お金集めの根本から変わらないと、テレビは変わらないのでしょうね。
とは言いつつ、テレビから大変大きな恩恵を受け取らせていただいた僕としては、「テレビ」はこれからも進化し、続いて行って欲しい大切な文化だとも思います。
さて、昨日書いた「マツコ会議」の裏側に関する記事がまた沢山の方に読んでいただけて、嬉しいです。
「僕のブログのアクセス数が伸びたのでありがとうございます!」っていうのはあんまり関係なくて、それよりも「マツコさんが僕に掛けてくれた宝物のような言葉」があって、それが皆さんにも届いたことが嬉しいんです。
その言葉は素晴らしすぎて、バラエティー的にはカットなんですが(笑)、これから先、自分が活動していく上でずっと心に大切にしまっておきたい金言でした。
まだ読んでない方は、是非です。
記事の本当に最後の方に書いてあるので、何ならそこまで飛ばして読んでもらって構いません!(笑)
今日もの記事もまた「マツコ会議」についてなのですが、少し他の二人の出演者の紹介もしてみたいと思います!せっかく出会ったので、これも何かの縁!というわけで、いってみましょー!
◆フィリピンで熱狂的な人気「Fumiya」くん◆
先日の「マツコ会議」のテーマは「東南アジアで大成功した日本人」でした。
番組の構成を見て頂いても分かったと思うのですが、恐らく一番最初にあの番組が声を掛けたのは「Fumiya」くんだったはずなんです。
(写真:Wikipeiaより)
先日の企画は「Fumiya」くんありきで立ち上がった企画だと僕は読んでいるので、それを実現してくれた「Fumiya」くんの存在と影響力には感謝です。テリマカシ。
フィリピンで本当に物凄い人気を誇っている「Fumiya」くん。
番組終了後も反響の多くは「Fumiya」くんに関わるもので、あの整った容姿と現地で街を歩くのにボディーガードが必要なほどの熱狂ぶり、元は帝国ホテルのベルボーイからアパレルを立ち上げたいと一念発起しフィリピンへ渡ったところからのYouTuberとしての大成功、からの現在はドラマやアイドルとしても大活躍、さらに若干、22歳。
「加藤ひろあき」とエゴサーチをして、「マツコ会議」というワードで検索してTwitter上の全ての番組に関する感想に目を通した僕は、あのイケメン「Fumiya」くんに図らずもやられた人が多かったことは知っています(笑)
Fumiyaくんの詳しいプロフィールや経歴はWikipedia叔父さんに聞くのが一番手っ取り早いと思うので、是非覗いてみてください。
「Fumiya」くんの成功例は現代の成功例として物凄くわかりやすいですし、SNSが大変大きな力を持つようになったこの時代を象徴しています。
「誰にでもチャンスが転がっているんだよ」「動くなら今でしょ!」を体現しているFumiyaくんは今ノリにノッテいますし、それが自信溢れる表情からも滲み出ていました。
今回ちゃんとお話はできなかったのですが、収録中、マツコさんとのインタビューを全て聞かせて頂いて、これからも頑張って駆け抜けて欲しいなと思いました。
お隣の国フィリピンで活躍する日本人がいるというのは嬉しいことです。
これからも、応援していきたいと思います!
ちなみに彼のアパレルブランド「Brige」
日本とフィリピンの架け橋になりたいとの願いが込められた自身のブランドですが、Twitter上で「橋」は「Brige」ではなく、「Bridge」なんじゃないのか?!という疑問が渦巻いていましたが、そんなイージーミスをこのFumiyaくんがするはずもなく、その意味は彼のSNS上に書いてあるので、是非見てみてください。
◆ミャンマーで活躍するシンガー「すわじゅんこ」さん◆
僕の後に二番手にインタビューされたのがこの「すわじゅんこ」さん。
ミャンマーの国を挙げての大イベント「水かけ祭り」に5年連続出演しているという「すわじゅんこ」さん。
映像を見ましたが、物凄い人数の前で歌唱をされており、圧巻でした。
(写真:すわじゅんこさんホームページより)
#何となくモナス前で歌ってるように見えてしまうのはジャカルタ生活が長すぎるからだと思います。
元々は日本でシンガーソングライターをしており、代々木公園での路上ライブから活動を始められたとWikipediaに書いてあえい、僕も音楽活動の始まりは地元小金井公園、それから吉祥寺、立川での路上ライブだったので、少なくない親近感を感じております!!
こんな風に括るのは申し訳ないのですが、日本でそこまで芽が出ずに東南アジアにその活路を見出したという点ではかなり大きな共通点がありそうです。
#すいません勝手に括っちゃって
#すわさんを応援している方は日本にも多いとは存じております
そんな「すわじゅんこ」さんがミャンマーで火がついたのが宇多田ヒカルさんの「First Love」ミャンマー語カバー動画。
これがFacebookでミャンマーの方々に瞬く間に拡散され、一躍有名人に。
そこからミャンマーでの活躍の道が開かれたのだとか。
ちなみに、この「First Love」ミャンマー語バージョンを歌ってた場所は高田馬場らしいですよ(笑)
マツコさんも番組の途中で「この高田馬場の話から、いつフィリピンに行くのよ!!」って突っ込んでましたが、こちらも「どこから何が始まるかわかりません」っていう典型例ですよね。
諦めずに道を模索し、やれることは何でもやろうと決めてそれを愚直に行っていたすわさんの勝利だと思います。
その後、その活動をしっかりと様々な活動に紐付けていて、その辺りにも逞しさを感じます。いいチームにも恵まれたのだろうなーと思っていると、結婚された旦那さんがマネージャーさんだったみたいで、なるほどな、と。素晴らしいチームワークの上に成り立っている活動なんだろうとお見受けしました。
2020年末にはお子さんが誕生されたようで、おめでとうございます!!
これから、すわじゅんこさんの活動にも注目して、応援していきたいと思います。
詳しくは、Wikipedia叔母さんが説明してくれているので、皆さん覗いてみて下さい!
というわけで、「マツコ会議」で共演したお二人を非常に簡単にではありますが、ご紹介させて頂きました。
今、ブログを書いている様子を生配信しているプラットフォーム「00:00 STUDIO」で「マツコ会議で共演した三人でライブ出来るといいですね!」というコメントを頂き、確かに!!と納得。
いつか、そんなことが出来たら面白いですね。
コメントを下さった2021(Es Jeruko)さん、テリマカシ。
その為にもまずは自分の国で、僕の場合はインドネシアで結果を出し続けることが必要なんだろうと思います。
2021年は挑戦の年と位置付けていますが、もっともっとプレゼンスを上げられるように、この国で存在感を出せるように気張っていきたいと思います。
今日も読んでいただき、ありがとうございました!
みなさんにとって、
今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。
ひろ。
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今日はアリーナと歌った「涙そうそう」のインドネシア語バージョンをどうぞ!