[今日の記事:3230文字、6分くらいで読めます]
今日は朝からとある用件で病院に来ているのですが、病院の待合室から更新しています(笑)
毎日のブログ更新をかれこれ4ヶ月ほど続けていますが、今やブログの更新をしていないと落ち着かない体になってきました(笑)
毎日更新をするようになってから意識的にインプットをするようになりました。
当然っちゃあ、当然なんですがインプットをしないとアウトプットができないからです。
日々、インドネシアという海外で過ごしていれば自然と生きてるだけで様々なことが起こり、インプットがあるのですが、それだけでは毎日更新するにはちょっと足りなくて、それに加えて本を読んだり、面白そうな記事を読んだりしています。
日常で起こるちょっとした事も、「お、これ記事にできるかもな」という視点で見れたりするのは面白い変化だと思いました。
以前、写真を撮ることにハマった時期があって、といっても立派なカメラとか用意するとかではなく携帯で撮るだけなんですが、それでも「写真を撮ろう」と思って日々を過ごし始めると、被写体になるものや切り取りたい瞬間が一気に増えたことにとても驚きました。
人間は意志の弱い生き物で、何となく過ごしているとその流れに流されてしまうので、何かを変えようと思ったら環境やルーティーン、周りにいる人など自分が変わらなければならなくなる環境に身を置くのが一番手っ取り早いんだろうなと思います。
このブログの毎日更新も誰かにやれ!って言われた様なものでもなく、自分が「変わりたい」と思った結果の一歩だったので、今も続けることができています。
一人でも多くの人に読んでもらえたらモチベ上がります。宜しくお願いします。
ちなみに、今日もブログの更新を無音ではありますが、「00:00 STUDIO」というプラットフォームでライブ配信しています!
◆為末大さんが定義する「諦める」という概念◆
ここ最近読んだ本の中で面白いなと思ったのは、為末大さんの「諦める力」という本です。為末大さんとはもちろん面識もありませんが、ツイッターなどでの呟きを以前から拝見しており、その思考を興味深く眺めていました。
ちなみに為末大さんのツイッターのプロフィール欄には「人間を理解したいです」と書いてあり、これは僕も激しく同感です(笑)
きっと理解などできないから、そうしたくなります。
自分のことすら、ほとんどわかってないので死ぬまで永遠の課題です。
そんな為末大さんが書いた本がこの「諦める力」なのですが、辞書を引くと「諦める」とは「見込みがない、仕方がないと思って断念する」という意味だと書いてあります。
しかし、為末さんがお話しした住職さんは「諦める」には別の意味があるということを説きます。
仏教では「諦める」というのは、「真理や道理を明らかにして、よく見極める」という極めてポジティブな意味でこの言葉が使われているそうなのです。
漢和辞典で「諦」という時の意味を調べると、「思い切る」「断念する」という意味より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」と記されています。
さらには「さとり」という意味もあるというのです。
「諦める」というのは決してネガティブな意味だけではないのだと、為末さんはこの本で終始訴えかけています。
そして、為末さんは「諦める」と以下の様に定義しています。
自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る
なるほど、と読んだときに腑に落ちる感覚がありました。
◆自分が生き残る為に「諦める」ということ◆
エンターテイメント界に身を置く様になってかれこれ10年以上が経ちます。
まあ日本にいる時はエンタメでも、音楽でも、全くご飯など食べて行けなかったので、「エンタメ界に身を置いてる」なんて言えるような状況ではありませんでしたが、少なくともインドネシアに渡ってきた2014年からの6年間はエンタメでご飯を食べてきました。
その中で、自分がこの世界に生き残る為に様々なことを「諦めて」きました。
37歳にもなれば、自分の立ち位置や持っているものなどを冷静に見れるようになってくるものです。
20代や、30代の前半に出来ると思っていたことが、「いや、やっぱり難しいのか」となってくることも増えました。
少なくとも何者にでもなれると思っていた20代前半の様な気持ちに戻ることはできません。
2013年の年末、僕はインドネシアはジャカルタへの移住を決めました。
鳴かず飛ばずの音楽活動、広がらない交流の輪、届かない大舞台、予想に反して順調に進んでいくインドネシア関係の仕事……
日本のエンタメ界に入り込んで、子供の頃から憧れていたきらびやかな世界に身を置いて、大勢の人の前に立って活躍していくんだ!と意気込んでいた20代。
苦しみながらも、何とか結果を出すんだと僅かな可能性に懸けてもがいていました。
でも、それを30歳になったときにスパッと「諦め」ました。
その時の、あの「諦める」の心境はまさの為末さんが書いている「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」ことそのものだったように思います。
何故なら、その「諦める」という決断に微塵もネガティブな感情がなかったからです。自分の置かれた状況を冷静に分析して、ここではない、自分がより輝けるであろう場所で「挑戦」するという気持ちが強かったからです。
これをどう捉えるか、ということだと思います。
見方を変えれば、これは大いなる「挫折」です。
20代が終わる頃にはこうなっていたいという目標を、僕は全くもって達成できませんでした。
プロジェクトとしては失敗と言われてしょうがないと思います。
でも、この20代の10年間で蓄積してきたいわゆる「失敗」で取れたデータや経験は、30代インドネシアで活動するに当たって大いに役立っています。
昨日の記事にも書きましたが、このデータや経験を取れたという意味で見れば、僕の20代は成功でした。
その20代の10年を走りきったからこそ、「日本のエンタメ界で頑張るんだ!」という所からの大いなる撤退を決めることができました。
「諦める」ことができました。
そして今、このインドネシア生活6年目が終わろうとしています。
2021年は「挑戦の年」にすると散々書いてきました。
それは「諦め」た上で、進んでいくということです。
もう一度書きますが、「諦める」とは、
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
ことです。
自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解する部分はまだまだ掘り下げることができるので、2020年残りの時間でも考え続けます。
そして、それを土台に前に進みます。
その姿を皆さんにお見せします。
楽しみにしていてください!
というわけで、今日は為末大さんの「諦める力」という本を自分の人生とリンクさせて考えてみました。
読んでいただき、テリマカシです!
皆さんにとって、今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。
ひろ。
#親友で鉢職人のミータ
#そのポットにサボテンを入れてサボテンアートをやってます
#素敵な作品をありがとう
詳しくは、こちらのインスタで。
[AnidArt by Miita Asyari]
https://www.instagram.com/anidar.id/
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シャ乱Qのはたけさんと創作した「Esok Yang Cerah ~晴れ渡る明日~」
気づけば1万回再生してもらっていました。
ありがとうございます。
この歌にあるような晴れ渡る明日が皆さんに訪れますように。