朝から宮本浩次さんが歌う「異邦人」にやられている加藤ひろあきです。
この歌、久保田早紀さんがJR国立駅の前の並木通りで見た描写を切り取った歌詞から始まってるんですよね。
国分寺高校に通っていた時の最寄駅が国立駅だったので、このエピソードを読んだ時、「異邦人」というタイトルなのに急にすごく親近感が湧いたのを覚えています(笑)
*といっても、僕は自転車通学だったので、駅は使ってなかったですが…。
さて、今日は「勝ったから正しい、負けたから間違っている」という認識について話してみたいと思います。
サッカーの試合でも、オーディションでも、ゲームでも、賭け事でも何でもいいのですがそこに勝ち負けが発生する場合、どうしても勝ち負けにフォーカスが集まり、それ以外のことは度外視されることが多々あります。
「勝ったから正しい、負けたから間違っている」なんて考え方は普通に生きていれば、必ずしもそうじゃないなんて簡単にわかりそうなもんなんですが、僕らはこれが自分ごととなるとそうはいきません。
勝てば舞い上がるし、負けると落ち込みます。
何も考えていなければそうなる可能性が高いです。
誰しも勝ちたいし、負けたくない。
ただ何の考えもなしに結果だけに目を向けるこの考え方は一見リアルに見えつつも、自分の為にはならないことだと思っています。
例えば、加藤ひろあきの例で言うと、
「日本でアーティストとして全く鳴かず飛ばずだったのが、インドネシアへ移住して活動を開始し、今ではエンターテインメントでご飯が食べれるようになった」
があると思います。
この時の現状が「日本ではアーティストとしての収入だけではご飯が食べられない」
それを受けての目標の一つが「アーティストとしてご飯を食べれるようになる」
ということは、アーティストとして何とかご飯が食べられている今、この挑戦は「勝ち負け」で言ったら「勝った」ということになります。
この事象に対して、「わーい、食べられるようになった!賭けに勝ったぞ!うおー!!!!」と考えていたら、そこには再現性のかけらもありません。
よくインタビューなどで「よく移住を決意しましたね。勇気のいることだったでしょう?」と聞かれたりするのですが、確かに上智大学の非常勤講師や大使館で任せて頂いていた仕事を全て辞めて、何の仕事も補償もないところに飛び込むわけなので、勇気は多少必要でしたが、僕にはこのインドネシアである程度やれるという、「勝ち」への道筋のようなものが見えていました。
2014年当時のインドネシアはK-POPが力を持ち始めている一方で、日本・日本文化を好きな人たちもしっかりと存在していました。
開催される日本祭りは軒並み大入りで、熱は全く冷めていませんでした。
冷めていないどころか「JKT48」が凄い勢いでテレビやその他メディアで活躍し始めていて、その裾野を広げてくれていました。
そこでインドネシア芸能界に目を向けてみると、当時活躍していた日本人は、明るく愛嬌のあるキャラクターでお茶の間の主婦たちに愛された「シェフ原田」さん、俳優一筋でインドネシアでの評価も高い「鈴木伸幸」さん、そして当時はまだJKT48に所属していた「仲川遥香」さんでした。
この方達がまずはインドネシア芸能界で日本人が活動できる種を撒いてくれていました。ありがたや。
ただ、このラインナップをみた時に思ってことは、
「入り込む余地が確実にある」
ということでした。
理由は以下の三つ
1. ミュージシャン活動をして、活躍している日本人はいなかった。
2. 20代、30代の日本人男性はいなかった。
3. インドネシア語がネイティブレベルで流暢に話せる日本人はまだいなかった。
まずは音楽に特化して、そのフィールドで活躍している日本人はいませんでした。
自分がやってみたいことがミュージシャン活動だったわけなので、ここはとても大きかったです。
まずは自分が、インドネシアに腰を据えてインドネシアの音楽シーンで活動する日本人アーティスト1号になろうと。
誰かに先にやられたら死ぬまで後悔することになると思ったので、それを達成できてよかったです(笑)
二つ目は、シェフ原田さんも鈴木伸之さんも当時でそれぞれ40代、50代だったはずなので、比較的若手の枠は空いてるなと。
この当時はインドネシア住みます芸人の皆さんもまだインドネシアに来ていない時なので、アーティスト活動からは外れてしまいますが、芸人的な立ち位置でバラエティー番組に出れるように大袈裟なリアクションをしたり、体を張ったりしながら、ちょっと片言のインドネシアもわざと使い、バラエティーで求められる「インドネシア人が考える日本人像」を演じてチャンスを掴もうとしました。
実際、視聴率30%、40%といわれたモンスター番組にも何度か呼んでもらうことができ、知名度を上げていくことができました。
三つ目は二つ目からは矛盾するように見えるのですが、インドネシア語が流暢だという武器です。
2015年にインドネシア住みます芸人の皆さんがジャカルタに住み始めてからは、わざと演じていた若干片言の日本人というキャラクターは完全に捨てました。
それはあくまで入口とだけ考えていたので、そこからは「インドネシア人よりインドネシア人らしい日本人」を目指しました。
インドネシア語も改めて学び直したりしながら、インドネシア中を旅する旅番組のレポーターも務め、色々なインドネシアを見て回らせてもらいました。
この頃からイベントMCとしての仕事も増えてきて、政府が関わるような日本インドネシアのフォーマルな仕事を任せてもらえるようになりました。
そういった仕事は特に片言なインドネシア語では任せてもらえない仕事なので、流暢にインドネシア語を話せるというポジションを活かせた例の一つかと思います。
そうしているうちにこのポジションで様々なチャンスを頂けるようになり、アーティストとして、タレントとしてご飯が食べられるようになりました。
どうでしょう、確かに結果だけを見れば「勝った」と言うことになると思いますが、その時の決断のために情報を集め、現状を冷静に分析し、隙間を見つけ出し、そこに自分を当てはめる、そこから段階的に自分の理想の形に近づけていくと言うプロセスが朧げながら見えていて、それを臨機応変に対応しながらもコツコツと積み重ねてきたという道筋があります。
自分が戦える隙間を見つけ出して、あとはそこにはまるように、結果を出せるように必要な準備を粛々と積み重ねる。
このステップを意識している「勝ち」には再現性が生まれます。
ということで、「勝ち負け」に一喜一憂せずに進む為には目標や仮説を立てて、それにチャレンジして検証するというプロセスを繰り返していくことが必要で、それがある限り「勝ったから盲目的に正しい、負けたから間違っている」という結果論には終始しないはずなのです。
一番危険なのは、何も考えずにやり始めて何となく勝って、何となく負けることです。よくわからない成功や、よくわからない失敗から得られるものはほとんどありません。思考しましょ、そこは。
何も考えなくてもたまに勝ってしまうっていうのが厄介で、いつも負けてれば考えたりもするんですが、そうじゃないのが人生難しいところです(笑)
ということで、今日は「勝ち負け」という結果よりもそこに至るプロセスを冷静に検証して、どんどん次に活かしていきましょう!というお話でした。
それでは、皆さんにとって今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。
ひろ。
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#VersiHIRO「愛する故に憎むのさ」
もうちょっとで再生回数10万回に届きそうです!
テリマカシ。
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