日々生きてれば、調子がいい時もあれば悪い時もあって、常に「絶好調!!」って人は稀にいるかもしれないけど、ほとんどいないですよね。

 

エンターテインメント界に生きるはしくれとして、自分を見てくれる人、応援してくれる人を元気にしたり、笑顔にしたりするのが一つの「生き甲斐」なので、カメラの前、作品の中ではいつだってエネルギー注いで気張ってます。

*インドネシアで自分がやってる番組の日本ロケの際の一枚。
一緒写ってるのはよしもと所属の芸人セブンbyセブン:玉城泰拙さんと宮平享奈緒さん。またご一緒したいな〜。

 

別にそれは無理してやっているということよりは、それが「生き甲斐」だし、もう当たり前のように何年もそうしてきたので勝手に身についているもので、変な話、カメラが回ればその瞬間からスイッチを切り替えて、取り組むことができたりします。

 

ある意味ではこれまで創り上げてきた「加藤ひろあき」というものを演じているのかもしれません。でも、それはエンタメ業界で働く人だけではなく、普通に生きていてもだれしも必ず演じている部分があって、人は時にそれが行き過ぎて本当の自分を見失ったりするものです。

 

でも、本当の自分って何なんですかね?

自分のことは自分が一番よく知っている、反面、自分のことは自分が一番よくわかってなかったりするじゃないですか。

自分の評価を自分で決めることはできません。

「評価」とは他者がどれだけの価値・価格があるかを見定めること、その反応の蓄積だからです。

 

自分が「優しさ」だと思って相手に投げたものは、相手にとっては「迷惑」でしかなかったなんて悲しい話は巷に溢れています。

僕らで言えば自分で「最高のものができた!」と思って発信したものも、世間にとっては「どうでもいいもの、普通のありふれたもの」だったりするわけです。逆もまた然り、自分にとっては「ガラクタ」でも、他人にとっては「宝物」だったりする。

 

自分が考えている「自分はこういう人間だ」という概念は他人から見ると「そうかなあ」となることも多く、そこにギャップが生じています。

そう考えるといよいよ、自分が考えている「自分」というものが怪しくなってきます。それはどういうプロセスで生まれた「自分」なの?

 

自分が考える自分って、これまでの経験則や体験に基づいて割り出されるものじゃないですか。これまでがこうだったから、恐らくこうだろうという推測。

あの場面とあの場面とあの場面とあの場面で頑張れなかった経験が作ってきたのが、「大事な時に頑張れない自分」だったりするわけで。

 

そう考えたら、自分が考える自分なんて、これから如何様にも変えていけるんですよね。これから起こること、起こすことが新しい自分を作っていく。

それが他人にどう「評価」されるかはまた別の話だけど、自分が思う「自分」なんていくらでも創っていける。

 

つまり、「自分にはできない」と思ってることも実は自分の「思い込み」でしかなく、自分の可能性に制限を設けているのは当の自分自身なんだという愕然とするような事実。

 

僕はあまり心が強い方の人間ではないので、この「自分で自分の可能性に蓋をする」瞬間と毎日のように戦っています。

若い時はイケイケで、「自分で自分を信じられなくなった時がやめる時だ」と思っていたんですが、歳を重ねるごとに「自分を自分で信じられなくなる瞬間」と付き合っていくようになりました。

 

そうして今日まで何とかかんとか歩いてきました。

それはこの道すがらいつでも「あなたなら出来る」と伝えてくれた、思わせてくれた「他者」が周りにいたからです。そういう風に応援してくれる人たちに支えられて、よたよた歩きではありますがここまで歩いてこれました。心からテリマカシ。

 

だから、これからも何とかして「新しい自分」を生み出し続けながら、もがいて見えるその先の光を信じて進んでみようと思います。

今、「自分なんて・・・」と自分を卑下してている人がいるとしたら、それはあなただけじゃないですと伝えたいです。

おれもっす!!!

 

*唐突な新撰組(笑)

 

だから、そんなあなたのことを応援してます。

未来は変えられるらしいので、一緒に踏ん張っていきましょ。

おれも負けねえっす。

 

それでは、皆さんにとって今日が昨日よりちょっとでもいい日でありますように。

 

ひろ。

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全編インドネシア語ではありますが、日本語でコメントして下されば翻訳して読みますので、おしゃべりしにきてください!