生まれたのは福岡県の春日市光町で

父は警察官をやめ、米軍基地で働いていた

春日原ベースと呼ばれていた基地の北門の前だ


父はパンを納品する仕事で、ほどなく基地の東門

の白木原ベース(当時、福岡県筑紫郡大野町上大利)近くに引っ越した。


8軒並ぶ家の6件がアメリカ人の家族で

日本人家族は2件だった


両親は共働きで、僕は幼稚園に入るまで

お隣のボビーさんの家に預けられ

アメリカ人の女性に育てられた。


英語で育てられたからか

今でも英会話はなんとなく出来てしまう





目の前は国鉄の線路で白木原駅近くの米軍基地への引き込み線が家から見えてた


線路の向こうに高い鉄条門フェンスがあり、

うちの家の線路側の正面にウォッチタワーがあって、銃を持った米兵が常駐警備していた。


父の車で白木原ベースの中に出入りしていて

たしか自分が9歳の頃まで基地が存在していた

カミサリーと呼ばれるスーパーのようなところに

パンを納めていた


自分はアメリカの瓶詰めの離乳食を食べていたらしい


そんな環境だったから、ボビーさんの家に流れるFENを聴いて育ったへんな赤ちゃんだった


FEN から流れる、グレン・ミラーオーケストラに異常な反応を見せていたらしい


これには思い当たる節があって自分が中校生の頃映画『グレン・ミラー物語』を見たときに

ずうっと曲が流れる度に「あー、これ知ってる」という歓喜と、奇妙な懐かしさがあって

あながち嘘じゃないと思う


小学生の頃はスーパーでドルでお菓子を買ってたからあの辺は日本人もドルで生活していたのかもしれない。すでに朝鮮戦争やベトナム戦争で

基地から兵隊さんは居なくなり、8軒並んでいた家も次々に引っ越していった


今思えば米軍基地の最後の姿を目撃していた


自分は大野小学校に通学していたが

3年生の時に米軍基地の返還された土地に建った大利小学校にかわった。

同じく中学校も基地に返還された跡地に建てられ

そこに通った(大利中学校)


小学校の運動場と米軍基地は鉄条網フェンスで仕切られていて、米軍の子供たちとフェンスを挟んで戦争ごっこをしていた記憶がある。


石を投げ合って、殆どの石はフェンスに引っ掛かって落ちるが、たまに通り抜けた石が相手に命中して流血なんて事もあって、すぐに米兵がジープでやって来るから、自分たちは一目散に逃げていったっけ。


そうだ、ジープが好きなのもこの辺りの記憶のせいかな?


続く