わが高校では毎年、3年生まで文化祭と体育祭両方行われる学校で、これが普通と思っていたら、予備校に行ってからほとんどの高校が文化祭と体育祭、1年づつ交互に行われるとか、1年次は体育祭、2年次は文化祭、3年次はなし、みたいなところが多いと知った。


 文化祭で体育館に本格的なステージが組まれ、それに出演するためのオーディションが行われる学校で、1年生の時、オーディションを受けた。

様子がわからないので楽器店の知り合いだった同じ高校の先輩の女の子の横でギターを弾いて出演した。めでたくオーディションに合格し、二人組で本番に向けてスタジオ借りて練習したりした。ほぼほぼ先輩がリードヴォーカルだったが、

「君も1曲歌いなよ」と言われて、

岸田智史の「君の朝」を歌うことにした。

本番では、なんと僕の歌が思いの外受けてアンコールの拍手がかかり、もう一曲、岸田智史の「ガール」をソロで歌った。

これも受けた。

後日、それを見に来ていた他校の女子高の女の子達が自称ファンクラブを3人で作って応援してくれるようになった。

2年生の時は同級生と5番街という名前で体育館のステージではなく音楽室を貸しきって行うことにした。クラシックで頭ガチガチの音楽の先生に交渉するのが難儀であった。交渉の4回目で折れてくれた。音楽室はファンクラブの子たちが積極的に人集めしてくれて満員だった。


校外活動では中学の時の仲間たちと市民会館借りて自主コンサートなんかやってた。この時はロックバンドのヴォーカルだ。レッド・ツェッペリンやバウワウやディープ・パープルを歌わされた。


あ、ファンクラブの女の子が在校生の女子高の文化祭にも呼ばれた。これは弾き語りでギターとキーボード交互に弾いて歌った。チューリップ「青春の影」とかオフコースの「ワインの匂い」、「愛の唄」とか歌った。あ、クッキージャムの曲も歌ったんだ。あ、書きながら思い出したけど杉真理の「Hold on」も歌ったっけ 。そうだブレッド&バターの曲も数曲歌ったんだ。女子高に行くまで気付かなかった自分もどうかしてるが、観客席が全部女子高生で目のやり場に困った感じを覚えている。

あれは、一人で行くべきじゃなかった。

 

この自称ファンクラブの女の子達とは縁があってその3年後自動車学校で一緒になり、再び大学生の自分を応援してくれたんだけど、いつだったか大学のイベントで対バンした相手バンドにその子たち、もっていかれたんだ。思い出した。


グリーンパークという緑地施設?キャンプ場?で毎週日曜日に剣道部の先輩と組んだバンドで出てたっけ。ベイシティローラーズとかツイストとかチューリップとか、あとキッスとかなんでもやってたな。節操もなく


それから高校3年生の時に西南大学のバンドに引き抜かれて、ブルーグラス、カントリーのバンドに在籍してたこともあり、西南大学の文化祭に出てたおかしな高校生だったんだ。このバンドのリーダーは有名なパンメーカーのご子息で、外車に乗ってて、よく送り迎えをしてもらった。

車の中で流れていたのは西海岸のイーグルスとか山下達郎とか。そして松田聖子だった。

松田聖子のデビューアルバムは杏里に曲を書いてた作曲家が曲を書いていたから、その内「聖子聴きましょ」とリクエストするようになった。

大学生になってから僕は松田聖子さんのファンクラブに入り、コロナ禍に入るまでほぼ毎年、コンサートに足を運ぶことになる。

私にとって松田聖子は「神」



とにかく勉強しなかったな。音楽一色。

こんなだったからクラスメートともほぼ接点無かったな。