少しばかり音楽遍歴など


10代 はじめて買ったシングル盤はチューリップの『銀の指輪』、13歳の時、初めて行った

コンサート『ライブ·アクト·チューリップ』、

これも13歳の時、初めて行った洋楽コンサート『QUEEN』

初めてコピーした曲はチューリップ『せめて最終電車まで』

中学2年の文化祭で教室貸し切りで初コンサートを行います。大盛況で翌日から人気者になりました。演奏曲はチューリップ·アリス·甲斐バンド

かぐや姫など全33曲ぶっ通しで歌いました。

※14歳から始めたコンサート活動は57歳まで毎年何かしら人前で演奏する機会がもてました。ライブがコロナで吹っ飛ぶまでね。


高校生になると福岡市の地元デュオ『クッキージャム』の音楽に憧れデュオを組む。

※クッキージャムは故大内義昭(愛が生まれた日)率いるデュオで後にWAYと名前を変えDU-PLEXという名前でデビューします


自分はグリーンヴィレッジというライブハウスでライブをするようになる。当時、KAN(当時、木村くん)のバンドとよく一緒にブッキングされてました。

この頃になるとブレッド&バターや南佳孝、あと洋楽のAmerica の曲なんかライブでやってました。ビートルズのソフトな曲も歌ってました。

高校3年生になると西南大学のバンドに引き抜かれ西南大学のキャンパスに通って大学生に成りすましている内に自分が高校生であることを忘れて、ある日担任の先生が自宅に来て「あと5日休むと留年だから」と告げられ、「あ、そうだ。学校!」と思い出したように高校生に戻りました。ウォークマンが発売されて音楽漬けの日々でした。


九電体育館で見た『エア·サプライ』にもはまりました。『ボズ·スキャッグス』も見た

杉真理さんの『バカンスはいつもレイン』をよく歌ってました。


高校卒業後は進学も就職もせず中洲でバンドマンとして食い繋いでいて当時、まだカラオケ無かったですから皆、生バンドをバックに歌ってましてキャバレーやクラブをギター抱えハシゴする毎日で、ギター教室の講師もやって、月に30万円稼いでました。


しかし、バンドマン1年目の冬にカラオケの波が一気に押し寄せ、先輩から「君さ俺たちの仕事もなくなるぜ、近い将来にさ。だから大学にでも行きなよ」と進言され次の年に予備校に通うことにしました。


この頃は『ホール&オーツ』や『スティービー·ワンダー』のコンサートを観ました。

そして、大学生になるとビブレホールオーディションに合格してビブレホールで2年間、コンサートすることが出来ました。演奏曲はオリジナルで作詞作曲し歌ってました。『Landscape』というデュオです。

大学生になると松田聖子、杏里、佐野元春、

鈴木康博(ex.オフコース)、井上陽水、ふきのとう、白井貴子、稲垣潤一、片っ端からコンサート行ってましたね。チューリップもね。『ビリー·ジョエル』のコンサートは衝撃的でした。

17歳から8年間とある楽器店でフォークギター教室の先生もしてました。


中川イサトさんのギターインストにも興味を惹かれコピーしてました。


2年遅れて大学入ったから24歳の時大学卒業しました。

この後、大きく人生が変わります。


つづく