出会いは私が社会人2年目。君が人事異動で同じ係になったところから始まる。そのころ君は体育館のジムなどで数人とトレーニングをしては輸入したプロテインを飲んでいた。その姿がトーマス兄弟によく似ているところからあだ名がトーマス。本当にそっくりだったよ。後に質の悪いたんぱく質の取りすぎと医師にで指摘されたと笑っていた。

  ある時、君の仕事の資料を見て感銘を受けた私は、君が帰宅後に資料をあさり真似て作りを繰り返したことで、着眼点や整理方法などを学べた。君の資料が私の社会人として生きていく基礎を作ってくれた。

  トレーニングから自転車へ趣向がかわった君は、職場で自転車同好会の主宰として仲間を引き連れよく走りに行っていたし、私もたまに参加したり裏方を手伝ったり。また互いにキャンプ好きで、一緒に何度か出かけたりして仲は深まっていったと思う。その後は人事異動や互いの生活が忙しくなることで、共に何かをすることは少なくなっていったけど、たまに会っては互いのことを話しながら酒を飲んだね。

  君が先に退職し近所に引っ越してからは、毎週土曜はちょっとした料理で話し合う楽しい時間。つたない私の料理だったけど、いつも感想を忘れず「うまい」と言いながらたくさん食べてくれるのは作る励みになった。君と同じロードバイクに乗り始めてからは、休日のポタリングやしまなみの島巡り、サイクルイベントにも参加したね。

  一年程前に病気が見つかったけど、最初は楽観的な見通しだった。半年前に手術を経て安心できるはずだったけど、転移が見つかってからは治療が続き。それでも毎週土曜の集まりは欠かさずできていたけど、次第に君は痩せていった。11月頃からは出歩くことも難しくなり、年末に友人と共に面会できる機会があったもののかける言葉が見つからず、ただただ手を握るしかできなかった。帰りに「来年また呼んでね。すぐに来るから。」と掛けたことばに小さく手を挙げてこちらを見た君。あれが最期になるとは思ってなかったけど、10日程後に君はこの世を去った。

  葬儀の挨拶で、君がずっと生きづらさを感じながら人生を過ごしてきたことを家族から初めて聞かされ、お互い似たものだったから気が合ったのかもしれないと思いつつ、一言も私には言わず受け入れてくれていた君のやさしさを今さらながら感じている。君には小さな子がいて「70過ぎまで働かないと」といつも話し、私も君とのこの生活がまだまだ続くものと疑いもしなかった。あまりに早い別れになった。37年間いつも隣にいて支えてくれた君には感謝しかない。ほんとうにありがとう。

●トーマス兄弟
  写真はネットよりお借りしました。実物もこんな雰囲気でした。


  ラインのハンドルネームもトーマス。よほど気に入っていたんだね。

●しまなみの島巡り
  見直したら君の姿が写っていたよ。


●一緒の写真
  互いに自撮りをしないので、共に写るのは自転車ばかりだ。