私の記憶の中の久留米ラーメンの話(2) | あくまでも私の持論なんですが

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子供の頃の久留米ラーメンの思い出


地域によってまちまちな豚骨ラーメンであるが、私が取り上げるのは久留米ラーメンだ。
ひとまず私が地元にいた70〜80年代の頃の記憶から触れていきたい。

久留米は豚骨ラーメン発祥の地と言われているが、特に濃厚なこってりとしたスープが特徴とされてきた。

どろりとした食感すら感じる程の脂の濃さと非常にアクの強い味で、白濁というよりはむしろピンクに近い色合いである。

当時の久留米ラーメンのイメージは良く言えば野性的で飾らない、悪く言えば粗野で安くて手軽に腹にたまるジャンクフードのようなものではなかっただろうか。

日常的に食べるものではあったが特別ご馳走というわけでも無く、ましてや観光客がわざわざ食べに来るようなものではなかったと思う。

子供の頃から慣れ親しんでいた私は気にならなかったのだが、久留米ラーメンはとにかく豚の脂の匂いがきつい。

昔は店内に入るとむせかえるような脂の匂いと湯気となった脂で床がヌルヌルとしているのが当たり前だったくらいではあったが、他の地方の人にはこの匂いが腐臭に感じられて耐えられないらしい。

東京の豚骨ラーメンが私にとっては非常に豚骨感の薄いあっさり味に感じるのは、要はこのくらいの匂いが限界でこれ以上に濃くはできないということなのだ。

麺も最近は極細麺が主流の様だが、昔はもう少し太め(とはいっても東京に較べれば充分細いが)だった。当然ながら極細麺ならではの茹でかたであるバリカタやハリガネといった呼び方も私は聞いたことがなかった。
トッピングもせいぜい細ネギと豚バラ肉に焼き海苔くらいで紅生姜はあくまでお好みだ。

私が子供の頃は、東京の街中で見かけるような大衆食堂的な中華料理店とはやや趣きが違うが、その役割を担っていたのはラーメン屋であった。

見た目自体は大衆食堂や東京の中華料理屋と大差ないが、基本は豚骨ラーメンとチャンポンがメニューのメインであり、その他のメニューの記憶があまりない。

ギョーザや焼き飯(あまりチャーハンといった呼び方もしていなかった気がする)くらいはあったと思うが、まずはラーメンかチャンポンありきだったのだ。

逆にチャンポンと聞いて意外に思う人もいるだろうが、実は豚骨ラーメンの白濁スープはチャンポンのスープが元になっており、ラーメンと同じ位に定番のメニューだったのである。

大衆食堂型店舗のラーメンはご飯のおかず的な役割でもあることから久留米ラーメンにしては、という注釈は付くものの比較的脂は薄めであっさりと食べやすいスープが多かった。

久留米ラーメンが非常にこってりした印象が強いのは街道沿いのラーメン専門店の影響が大きいのではないかと思う。

特に国道3号線沿いにある「丸星中華そばセンター 本店 (丸星ラーメン)」は昭和33年創業の老舗であり、今もほぼ味やスタイルが変わっていない。

久留米ラーメンを語る上では外せない見本のような店と言えるのではないだろうか。

国道3号線は九州を縦断する幹線道路であり、九州自動車道が整備されるまで物流の大動脈を担っていた。
また久留米は佐賀や長崎、熊本方面への分岐点にあたり、そしてブリジストンの本社もあるなどの地理的な状況もあり、交通の要衝であったのだ。

丸星ラーメンはそんな好立地の場所で、当時としてはかなり珍しい24時間営業の店舗だった。
商業地域からやや外れた街道沿いで大型トラックの停めやすい駐車場もあったので長距離ドライバーの食事場所として最適だったのである。

そうしてドライバーの口コミによって久留米ラーメンの濃厚な味の印象が拡がっていったのだ。

これもまた個人的な事だが、父がラーメン屋を畳んだ後に越してきたのがたまたまその丸星ラーメンのすぐ近所だった。
元々ラーメン屋に馴染みがあり、友達の母親がパートで働いていた事もあって丸星ラーメンに良く遊びに行っていたものだ。

丸星ラーメンの特徴は良くも悪くも非常にシンプルでスタンダードな味と濃さにある。

立地条件もそうだが、高速道路のサービスエリアやドライブインのような営業形態であり、セルフサービスのおにぎりといなり寿司、自家製おでん等と共に食べるラーメンは味に凝った専門店というよりはとにかく手軽に、大量に捌く事を意識したスタイルだったのだ。

そのためかどうかは分からないが、味付けは実にシンプルで特別な食材はあまり使って無かったのではないかと思う。

また、24時間営業のため絶えずスープを作り続ける必要があり、年中パートのおばさんが豚骨をグラグラと煮込んでいたのを憶えている。

実はこの大量の豚骨を絶えず煮込み続ける出汁の旨さこそが味の秘密であり、それを活かす余計な駆け引きのないスープが丸星ラーメンの良さではなかったかと思うのだ。

こう言っては誤解を招きそうだが、正直味や濃さにこれといった特徴のない丸星ラーメンに対して、当時の地元の人間には評判が良かったとは言い難い。

むしろ味も濃さも久留米ラーメンとしては極めて普通だったからこそ他の地方の人達には受け入れやすかったと言えるのである。

他にも街道沿いには丸星以上に濃厚なスープを売りにした専門店が多かったこともあり、久留米ラーメンは濃厚こってりのイメージが定着していた。

私自身の記憶にあるラーメンもまさにそれであり、久留米ラーメンはそれが普通という感覚だったのだ。
中でも当時評判だったのが国道210号線の「大龍ラーメン」ではないだろうか。

久留米ラーメンの中でも随一の濃厚さとどろりとしたこってり感、そして昔ながらの中細麺とこれもまた奇をてらわない味で王道と呼べる久留米ラーメンだったのだ。メニューもラーメンとせいぜいチャーシュー麺くらいだったと思うがその潔さも久留米ラーメンの店らしくて私は好きだったのだ。
(続く)