昨日友達と話してる中で感じたこと
それは、「私も彼女も不器用な人間」
であるということ
彼女は旦那さんとの事に悩み
2年前に別居したけど
その事をひとことも
親には言えなかったそうだ
何故なら母親もお姉さん達も
そうゆうことにはとても厳しいから
母親の悲しむ顔や
怒られるかもしれないと思うと
言えなくて、でも、気付かれたくなくて
無理に明るく元気に
振る舞っていたそうだ
(やっぱりなぁ、私の勘は当たった)
なんだかなぁと
心も弱ってきた時に
偶然にも、私が何十年ぶりかで
電話したもんだから
めちゃめちゃ感謝されちゃったんだけど
ありがたいことだよね
だってね、これって全部たまたまの連続なの
去年の冬、たまたま知人から
お誘いのあった「看取り学」
ぜんぜん最初は興味もなかったけど
暇だったし、まぁ行ってみるかと行ったら
「あら!面白いじゃん!」
って私の中でだんだん変化していったの
まず、死について
真剣に考えたの
誰でもいつかは亡くなるんだと
そこがゴールだとするならば
じゃあどんな風に最期を迎えたいか?
そんな感じで学んで行ったら
「なんだかんだ言ったって
死ぬ時は誰でも1人。
誰かに看取られたいとか
自宅で最期を迎えたいとか
そんなの欲張りだと私は思う。
だって、病気で亡くなるとは限らないじゃない?
だったら今生きていることに目を向けよう。
じゃあ自分は一体どう生きたいか?
毎日を大切にしたい。
じゃあどんな風に日々を過ごしていきたいか?」
そう思ったら居ても立ってもいられなくなった
そうだ!部屋の片付けをしようってね🎵
義父の介護もあるけれど
とりあえず今なら、まだ、お義母さんも元気だ。
だけどこの先ずっと、元気だとは限らない。
そして自分も夫もずっと元気でいるとは限らない。
それなら、今、この時間を最大限に活用しよう!
そう思って整理整頓&断捨離にたどり着いたの
そこで年賀状の整理してたら
懐かしかもあって
彼女に会いたいなぁと思って
思い切って連絡してみたら
こんなかんじになっていたってわけ