保育園の頃は
保育士(昔は保母さん)に
なりたかった
小学校高学年の頃
保育士さんは
工作や絵も描かないといけないと知り
それじゃ〜やめやめ
と諦めた
絵も下手だし
図工が死ぬほど嫌いだったから笑
それでもやっぱり
「何か」にならなきゃ
いけないと思っていて
卒業アルバムには
ピアノの先生って書いた
中学生になって
習っていたピアノの先生に
そのことを言ったら
「もう遅いわよ」
と言われた
笑顔で納得したフリをしたけど
とてもショックだった
音大に行くには
数学もできなきゃいけないらしく
もっと早い段階から
専属のコースとやらがあって
そこに、、、
途中からあまり
話を聞いていなかった
正直に言うと
聞きたくなかったんだ
ずっと好きで習ってきたピアノ
その頃から
身が入らなくなっていった
目標を見失い
何のためにやるのか?
どこまでやるのか?
わからなくなっていた
そんな事を毎日
毎日考えていた
それでもピアノから
離れられなかった
悲しくて
辛かったけれど
いつもそこに
ピアノがあった
時には楽譜通りに
時には好きな歌を
弾きやすいハ長調に転調して
端から端まで
一音ずつ指の運動と称して
スタッカートで弾き
スラーで弾き
そこに和音を作ったり
ほとんど訳のわからない遊び
そんなことが
馬鹿みたいに楽しくて
狂ったように
ピアノの前に座っていた
鳩の鳴き声や
踏切の音
焼き芋屋さんの声
どんな音でも
鍵盤に拾うのが楽しくて
自由に弾くのが楽しいからこそ
課題曲が苦痛になっていった
レベルが上がれば
当然だけれど
なかなか丸をもらえない
高校二年の時
親の自営業の仕事が
いよいよ悪くなり
「ピアノを辞めてほしい」と言われて
逆らえなかった
そこからはほとんど記憶がない
ピアノ以外の何かを
探そうとしていたのは確かだけど
何をしてても
そこまで熱くなれなかったのは
やっぱりピアノに「依存」し
「執着」していたのだろう
好きなことって
そんな簡単に
嫌いになれないもんね
夢は叶わなかったけど
ここまで自由に習わせてくれた親には
感謝している