私は昔から占いが好きだ。


小学生の高学年ぐらいだったかな。


自転車で20分ぐらい行った所に
本屋さんがあって


お小遣いを貯めて
占いの雑誌を買っていた。


毎月発行されるものだったけど
月に500円しかお小遣いをもらっていなかったから

たまにしか買えなかった。



その雑誌は確か400円ぐらいだった。


駄菓子屋さんで、お菓子を買ったりしたら、足りなくなるからだ。



当時としては珍しい
イタリアンジェラートという
移動販売車が、来てたっけ。



友達と遊んでても
みんなは買う為に一旦家に戻って
親にお金もらってた。




うちの両親は自営で魚屋だった。
家とは別の所でやってたから
家には誰も居なかった。




買えない私に気遣ってくれて
友達が
ほんのちょっとだけ食べさせてくれたアイス。
格別に美味しかった。







そのうちその移動販売車の音楽が聞こえると、私は外に行かなくなった。




買えないのにそこに行っても
辛いし悔しいからだ。




そんな事を全く気にしない友達は
わざわざ家に呼びに来てくれて
遊ぼうと言ってくれた。




素直に悔しいことが言えなかった私は、ピアノの発表会が近いからと理由を付けて、誘いを断っていた。




その悔しさ、ミジメさを
ピアノにぶつけていた。




ベートーヴェンにでもなったかのように、激しい感情を、白と黒の鍵盤にぶつけていた。



思いっきり弾けば楽しい!
そして思いのままに
思いつきで弾いたりする自由さ。




家に誰かがいたら
きっとやめろと言われていただろう。




近所迷惑だとか
うるさいだとか


そうゆう環境じゃなかったから
ただ、ガムシャラに弾いて



気付いたら3時間経ってたなんて事も
よくあった。




基礎的な指を強化するための
テクニックの教材が
一番好きだった。




それは、感情を吐き出した後にしか
やりたくなかったけれど
誰にも練習しなさい!と言われず



好きな時に好きなだけ弾ける環境には、とても恵まれていたと感じる。




中学になると
先生にものたりなさを感じ
自分から別の教室に通い始めた。



とても言いづらくて
3歳から10年も教えて下さった先生なのに・・…。




勇気を出して
先生にそのことを言うと




「きゅうちゃんが、そう感じることはとても良いことよ。
それだけきゅうちゃんが、成長した証なの。だからこれからも頑張ってね。
応援してるから。」




と言ってくれた。




私は先生に抱きついて
大泣きしてしまった。






今でもその日のことは
はっきり覚えている。




そして大人になった今でも
ピアノは
大切な友達だ。