だがYosuke Hasegawaの、紙幣でなければならない、というこだわりは類を見ない。
そして彼は折り始めてすぐに、そのタブーに気づく。
「お金で遊んじゃいけないんだー」という当時小学生だった彼の姪の発した一言。
それが紙幣アートの持つ本質と問いかけである。
長谷川の作品を見た人は、まず純粋に「面白い」と感じる事だろう。だが見ているうちにそれが紙幣だという実感が離れていく瞬間が訪れる。その時に、手放しで楽しんでいた己の経済価値がふと頭をよぎるのだ。
「でもお札だよね」と。
これこそが、10数年間にわたり長谷川が問いかけてきた本質である。
日本でも戦後教育と経済発展、グローバリズムの流れの中で「お金」が力を持った。
だが本来「お金」とは何だったのか?
昨年末には、インドの高額紙幣は紙きれになり、アメリカは、反グローバリズムにNOを突きつけた。
世界は大資本のために存在しているのではない、と。
FRBの存在と金融政策が世界中の株価や為替に影響を与えてきた事は、ネット上に晒され、
拡大する格差や、終わらない戦争の理由も白日のもとに晒されつつある。
長谷川は敏感に時代の流れの中の違和感に気付いていたし、それを作品に反映させてきた。
時代が長谷川の作品に追いついた、と私は思わず膝を叩いた。
紙幣アートは、今こそ絶大なインパクトを持って世間に問いかける時が来た。
今後、世界中が強い衝撃を受けた米大統領選の結果がアメリカをどう動かしていくのか?
いち早く資本経済の本質をアイロニーを込めた作品で問うた長谷川が、現場で何を目にし、何を体験し、次にどんな作品を生み出すのか?
紙幣アートが、日本から世界に与える可能性は未知数である。
二つの要素を表現。
お金は幸せをもたらす、便利で、人を笑顔にしていく、という事を表した作品。
ルーキーズ
世界は一つのチームである、という理想が…。
そして、お金の持つ矛盾。
終わらない戦争や搾取
憤る思いを表現しました。
こちらはタイ人キュレーター、イギリス人キュレーター、またアーティスト達の評価が高かった作品です。
モチーフはお札ですが、コラージュした作品は、調和美を。 お金、経済社会の汚く、哀しい部分を深いところに持ちながら、あくまでも鑑賞する、見た目は綺麗にまとめる、という日本をはじめとする世界を表現しました。
http://yosuke89.wixsite.com/moneyart
イイ、という人も、ナンダコレ、という人もいる
。 それは今有名な方も、死後有名になった方も。
アーティストなんてそんなものです。
2015年の作品から、どう進化していくのか、作品が社会に何を伝え、残していくのか、コレクターが興味があるのはその部分ではないかと思うのです。