日和山の高台からの絶景も、蚊の総攻撃で早めに退散
さて、既に庄内平野も後にしての絵日記も興覚めではあるけれど、締め括りに酒田という町での滞在について感じたことを。
先ずは結果2泊になった宿から。
本来、開業100年という古民家の宿「最上屋旅館」を候補にしていたが、諸々都合が合わず、思案していると、町中にある宿が随分と格安で見つかったので、当日予約で酒田行き特急に飛び乗った。酒田は少なくとも中心街は温泉がないため期待はしていなかかったが、ここは「薬草湯」なるものが24時間入浴可というのも惹かれた。で、例のレンタルチャリで行ってみると、豪華さはないが、なかなかの古い作りの、まさに純和風の旅館だった。
こじんまりとしたレセプションの奥にロビーが続き、その先には広くはないが手入れの行き届いた中庭がある。ロビー手前を交差する細い廊下から食堂、部屋が、その中庭を囲むように続く。庭には細やかではあるが、池も造られ、どうやら町の百和庭園のような類いにも選ばれているようだが、ま、100もあれば…。しかし、風呂場からも眺められるこの小庭は、狭いながらも廊下、客室、風呂場と、窓の確度を上手く変えることで、プライバシー保護もしっかり施された、工夫に富んだ造りでもあった。
部屋は廉価ということもあり四畳半だが、実際入ると一人では狭さを感じない。部屋の外に一畳ほどながら上がりがあること、窓が出窓でその手前は棚になっていること、床の間があることも影響しているのだろう。何よりも居心地よさを感じるのは、その清潔さ。
因みに24時間入浴可ということもあり風呂ナシの部屋にしたが、この1人部屋はもとより、廊下、風呂場、洗面所やトイレと、通りがかれば清掃されているように、スタッフが1日に何度も手間をかけているのが判る。宿主、従業員も、自分たちの宿への矜持を持ちながら営まれているのが感じられる。そして、ロビー。ここも「昔ながら」の応接セット3、4(だったか)と、中庭に面した窓際に、写真の北欧風背もたれ椅子2基が並ぶ。このご時世ロビーを使う客もそういないのだが、一般紙5,スポーツ紙1(残念ながら〇ポニチ)もしっかり揃えてある。この椅子で庭を眺めつつ、思案しながらパソコンを打つには最高の環境だった。
連泊という選択肢もあったが、「ポットフ―」はじめそこそこ散財していることもあり、追加のもう一泊はコスト優先。この町の(数少ない)景勝地「日和山」すぐ下の「日和山ホテル」が二日目の宿だ。
一泊目が正統派なら、ここは、すこし風変わりな鄙びた宿。かなり歴史はあるが、老朽化も目立つ。聞くとオーナーが親から引き継いだそう。伝聞だが、このオーナー、聞き覚えのある新宿区の大学を出てからパリで画商を営んでいたという。館内の入り組んだ造りなどは古の構造だが、玄関、廊下など随所にセキュリティー用のカメラが設置され、部屋の鍵はキーレス・コード入力式で、入力を誤ったり、何か誤作動があると、どうやらオーナーのスマホに情報が行くシステム。見た目はかなり古ぼけた宿だが、人件費削減も含めてIT、AIテクノロジーをかなり積極的に導入している。実際、話し好きの〝助っ人スタッフ〟に館内と部屋を案内している時にも、小生の部屋のロックに不都合があったのだが、オーナーのスマホに「誤作動」の通知が届き、スタッフに電話がかかってきていた。
▲夕焼け後のコバルトブルーの空だけでも一見の価値アリ
この宿も貧乏旅ならではの風呂トイレなし。だが、湯舟と6基程のシャワー室に分けられた浴室もそう不都合はない。トイレもしっかりウォシュレットだった。都内でのヒルメシ4回分程度の宿泊費を考えれば文句ない。その一方で、二階の一部廊下は、この町ならではの酒樽の廃材木が床に敷かれていたり、喫煙所だったので覗くだけにしたが、二階のちょっとしたテラスのような野外スペースもあり、少々ノマド感のある過ごし方が出来る宿だった。
自転車で徘徊出来たおかげで知ったのは、奈良・京都のような壮麗さ、派手さはないものの、この町の規模に比べると大小さまざまな寺社仏閣が多いことだ。先ほど触れた日和山ホテルの助っ人スタッフさんも、実は神社運営に携わる人物だったが、聞くとやはり「本間家」の庇護の下で多くの寺社が恩恵を浴したしたのだそうだ。そして、本間家だけではなく廻船業で儲けた豪商たちが、この町の行政も動かしていたという。例えば、貧困層の町民、農民が、真冬に仕事がないと商家が土木業などの仕事を作り出して、働かせることでなんとか収入を得ていたという。こんな商人たちの自治の意識の高さが「西の堺、東の酒田」と謳われた由縁でもあった。すこし大袈裟に表現すれば中世ヴェニスのような自治国家の体を成していたのだ。
▲町一番の観光地といえば「山居倉庫」。まぁ、情
報はどこでも知れるのでこのぶろぐでは写真だけ
しかし、北前船がもたらした栄華もとうの昔に過ぎ去り、酒田地震、幾度に渡る大火と、相次ぐ災難の時代を経て町は相当に疲弊してしまったのは、かつての目抜き通りの寂しさが物語っている。だが、勝手に思うのは、このシャッターだらけの100mはとうに超える商店街というスペースは間違いなく在る。この、そこそこ広大な地帯を生かし、酒田商人が造り上げたような雇用が、人が集まる〝何か〟が出来るのではないか。そんな酒田再活性化の、はかない絵空事も感じながら自転車徘徊を続けていた。
栄華を極めた本間家の外塀(下)と静まり返る中心地
元繁華街の外れには、今は不定期に芝居やライブが行われる「港座」という劇場が、かろうじて残されている。実はここが、前に紹介した佐藤久一が「グリーンハウス」の前に運営した小屋でもあった。ここから湧きだした文化や芸術が、やがて〝世界一の映画館〟へと羽ばたき、そして大火へという何やらドラマチックなストーリーが繰り広げられたのだが、久一の時代が第1章なら、まだこの町には第2章、3章があってもいい。そんな思いで、静まり返った港座、そして今は跡形もない「グリーンハウス」
の跡地を後にした。
▲▼「世界一の映画館」も最後は悲しい結末に…。そ
れでも、文化、映画のパッションは継承されている
因みに、今は亡き役者の大杉連さんも、この地を訪れて気に入り、自分が先導する劇団で芝居を打ったこともあった。例のホテルスタッフさんによると、漣さん、芝居はノーギャラで打ち、わずかばかりの木戸銭も、地元関係者のために残して、劇と宴を楽しんで帰ったそうだ。土地なのか、人なのか、こよなく演劇を愛したバイプレーヤーにも、何かを感じさせたのが酒田だったのだろう。
すこし物悲しいはなしばかりになったが、先にも触れた通り、寺社仏閣は、いまや鄙びたこの町とはアンバランスな数、規模だった。1400年代に開山した浄福寺の唐門、海晏寺には壮麗な三重塔が聳える。持地院の酒田大仏は想像以上の大きさ(17m、銅立像では日本一の大きさ。ちなみに鎌倉大仏は台座込13m)で、町を見守り続ける。二体の即身仏が祀られる(日本で唯一だそうです)海向寺もある。そして、鬱蒼とした日和山の頂上付近には荘厳さと鄙びた味わい双方を醸しだす下日枝神社が鎮座する。
最後に紹介するのは、自転車貸し出しもしている複合施設MIRAINI。念願を果たした「ポットフ―」も2階で営業しているが、この町に似合わない小洒落た「月のホテル https://tsukinohotel.jp/facilities/ 」も併設されている。それ以上に、酒田の人は誇りに思うべきなのは、1、2階の大半を占める図書館だ。
東京で例えれば、「丸ビル」の位置で、文化の根源でもある大量の本が貸し出されているのだ。丸ビル運営で奮闘中の慶應日本一主将・高田晋作くんには申し訳ない表現だが、東京駅前は物欲の殿堂のような館が建つが、酒田の人たちは、町の一丁目一番地に人の心を豊かにし、これから育つ子供たちに無限の夢と可能性を与える文化の殿堂を建てることを選んだ。人口10万に満たない東北の町が、26万冊の蔵書を誇る図書館を持っているのだ。書架を見てもなんだか読みたい本が並び、とりわけ児童書の充実が印象的だった。物質的には兎に角、東京と酒田、どちらが文化的に優れた土地かは歴然だ。
そして、これは5年後、10年後も変わらない保証はないが、町を走り回っても、都会なら世界共通になっているスプレーの落書きが、この町では少なくとも小生には見つけられなかった。だが、それも不思議には思わない。町の〝一等地〟に素敵な図書館を持つコミュニティーなら、当たり前のことかも知れない。子供たち、否人の感受性を育むことを尊ぶ街に、落書きは必要ない。




















