仕事柄「時制」というのは結構気にしている。

時制という言葉がすこしあやふやなら「書くタイミング」。

この記事なら、どのタイミングが…。

 

職業病のようなもので、今の自由人という身分なら、そこまで束縛されずに書いてもいいという心の中の囁きも聞こえてくるが、20年以上そんなものに縛られてきた身としては、条件反射的に、「いつ書くのか」を気にしてしまう。

 

で、今回は3月31日でその肩書きを放棄した男のおはなしだ。

 

 

 

 

 

あまりキャッチ―ではないが、強いて表題をつければ、こんなところだろうか。

 

「神鳥裕之の仕事」

 

既に新年度。本来なら、3月上旬に就任会見を開いた新監督で書くべきだろう。タクトは後任者に手渡され、新チームも動き始めている。それでも、明治大学監督・神鳥裕之については、しっかりとその5年間の仕事を書き残しておきたかった。

 

現役時代、砧、八幡山での監督時代。この男を一言で表現するならこうなる。

 

「いい人」

 

紫紺の名選手に漂ういい意味での「太々しさ」が、このエリートにはない。

八幡山の住民だった時代。何か日々のネタに困ったら、八幡山に足を向けた。

 

「すみませ~ん」

 

目的が学業か、治療か、はたまた小さな銀色の金属球を使った〝球技〟かは不明だが、シーンと静まり返った玄関で声を掛けると、数十秒の沈黙の後に、のそのそと巨体を揺らして出てくるのは十中八九、この男だった。

 

困った時は神鳥さん——いつだか、そんな話を本人にすると、「いやぁ、あまり外で歩くのも好きじゃないし、ここでのんびりするのがいいですね」と苦笑いまじりに話していた。

 

そんな男が八幡山に指揮官として戻ってくる。環八沿いの世田谷区から遠く離れた駿河台での就任会見で、話を聞きながら、こんな意地悪な声が頭の中で聞こえてきた。

 

「勝つには、すこしいい人過ぎる…か…も」

 

歴代の、とりわけ日本固有の楕円文化と言ってもいい大学ラグビーの大成功した指導者を眺めても、「いい人」だけではないと感じている。では悪人か。むしろ、勝利のための貪欲さ、旺盛さ、そして強かさ。そんなものを臭い立たせる勝負師を何人も取材してきた。

 

では、神鳥監督には、そんな勝負師の資質が無かったのか。適切な表現を選ぶとしたら、神鳥監督の5年間の仕事は「勝利への最短距離を選ばない」やり方で、最後にピナクルに立ったというものだった。

 

日本代表キャップを持つような成功者ではない。だが、泣く子も黙る大工大高で、2年生で東西対抗に出場して、泣く子も逃げ出す?明治大学で、このチームのエースナンバー「8」を背負った足跡は、間違いなく日本ラグビーのエリートだ。そんなエリートにも関わらず、高級なブーツやローファーではなくビーチサンダルを履くような男だ。ビーサンだから、まだまだハイトルクの四駆にはまだ成長しきれてない子供たちが、前へ進むのが難しいでこぼこ道、砂利道の困難さも、その足の裏に感じ取ることが出来る。

 

そして動き出した神鳥メイジ。年度別の成績は以下のものだった。

 

 

・1年目 対抗戦:5勝2敗③(●帝W) 大学選手権:準優勝●12-27帝京

・2年目 対抗戦:6勝1敗②(●帝)  大学選手権:ベスト8●21-27早稲田

・3年目 対抗戦:6勝1敗②(●帝)  大学選手権:準優勝●15-34帝京

・4年目 対抗戦:5勝2敗③(●帝W) 大学選手権:ベスト4●26-34帝京

・5年目 対抗戦:6勝1敗①(●筑)  大学選手権:優勝〇22-10早稲田

 

 

活字で書けばあっけないものだが、その5年に及ぶ「仕事」は、まさにコラムに書き残してある。

 

すこし意地悪に書けば、神鳥体制になった段階で、戦力はどのチームも羨むレベルに達していた。いつ勝っても不思議じゃない。だが、就任から4シーズンは覇権に手を掛けながら掴み切れずにきた。そこには、4年間やられ続けてきた帝京、そして勝ち負けを繰り返してきた早稲田という好敵手の存在があった。明治ほど戦力を充実させていても、相当に完成度を高めなければ、そしていい巡り合わせがなければ、容易には頂点には立てなかった。神鳥体制以前からではあるが、明治はほぼこのライバル2校への黒星だけでシーズンを重ねてきたのは、いろいろと考えさせられる現実でもある。大袈裟にいえば、大学の覇権はこの3校とせいぜい関西勢のシーズンベストチームが回してきたことになる。

 

そんな思い描いたものを掴めないシーズンが続いてきたことも踏まえて、最終シーズンの日本一は、観る側も安堵感のあるエンディングだった。前年までの4年間と同じように、ライバルいずれかに足元を掬われてもおかしくはなかったが、筑波に黒星を喫しながらもなんとか頂きに登り詰めた。そこには、コラムでも触れた、帝京大戦のPKからの「FW勝負」が大きかったと感じている。時代は変わり、BKに綺羅星のごとく好素材が並び、15人全員のナレッジも高い、そして物分かりが良すぎるほどの優等生ばかりの〝紫紺〟だが、自分たちのアイデンティティ―は持ち続けた。

 

そこに、おそらく賢い説明は必要ない。なぜFW戦に拘ったのか。答えは「メイジだから」。これは、いわゆる伝統校の特権でもある。1世紀という単位で継承されてきた先人たちの轍があるから、いまの自分たちがある。有無を言わさず、理屈も屁理屈もなく「・・だから」と言い切れるのは彼らだけだし、神鳥メイジ5シーズン目、平翔太主将を中心としたチームは、それを貫き、見事に頂点を極めた。

 

バトンは次の世代に託された。丹羽政彦が、田中澄憲が果たしたように、神鳥裕之も任期の中でしっかりと、繋ぐ者を探し、任命した。高野彬夫。前任者に輪を二重、三重にかけるほどの真面目な男だ。天理仕込みのスキルフルなプレーとタックルで、まだまだ完全復活へと喘ぐチームを、腐心しながら引っ張り続けた闘将でもある。もう少しイージーで、時にはチートしてもいいほどだが、それはそれで前監督にはない味わいでもある。

 

就任会見の後に、本人に〝お断わり〟をしておいた。

 

「本来は新監督のことを書くべきタイミングで申し訳ない。でも、こちらの段取りの悪さもあって、先ずは神鳥監督の5年間を書き残したい。実際に監督として動き出してから、思うところを聞かせてほしい」

 

さぁ、次は新監督インタビューだ。