エディーさんについて書いたコラムをアップした。

先月26日の前後編に続いてとなるが、就任会見を受けての前回から、今回は1月15日に行われたメディアブリーフィングでエディー自身が語ったものをベースにしたものだ。

 

 

 

 

月1本ごとに同一人物にスポットを当てるのは異例のことだが、書くことが前提ではなく、エディーの語ることの興味深さがその理由だ。来月も1本準備に入る段取りだ。

まだ本格始動までは半年近くあるが、3年後へ向け、指揮官がどんなラグビーを目指し、どんな選手を求めるのかが、わずかながら見え始めている。

 

コラムには書き込まなかったが、ブリーフィングでは新生エディージャパンの強化が、どのようなアプローチで取り組まれるのかも示されていた。プロジェクターを使っての〝講釈〟が行われたが、画像の2次利用はNGということなので、下記に箇条書きしておこう。ほぼ画像と同じ内容、表記だ。この箇条書きを説明していく形でブリーフィングが行われている。

 

 

【速度をどう向上させるか?】

トレーニング

A)    ダイナミック・システム

   個人の速度を上げるアプローチ

B)    チーム・トレーニング

   具体的に実施:スピードの緩急を反復

C)    速くて高い姿勢から低い動き(さらに回転動作の強さ)

D)  集団としての意思決定の速さを向上

  ・明確な試合戦略

  ・セレクションの一貫性

  ・チームメイトの知識

  ・特定のトレーニング(シナリオ別)

  ・目を使うスキルを強化

 

 

で、コラムのアップに伴い、このぶろぐを使って就任決定前後の〝騒動〟についても備忘録代わりに書き残しておこう。友人、多くの関係者は、この騒動について、どちらかというと厳しい目線でのコラムを期待していたようでもあるので。

 

昨年12月のコラムも含めて、敢えて〝騒動〟には大きくは触れずに書いてきた。

取材者のはしくれとしては疑惑の追及も意義はあるが、どうも書くモチベーションが上がらない。それには、いくつかの理由があった。

 

先ずは日本国内の報道だ。事細かくチェックしたわけではないが、どうもその内容は、騒動の震源地ともいえるオーストラリアや海外各国の報道に乗っかったものが目についた。

 

では、そのような、いわゆる「外電」の真偽のほどはどうなのか。

 

「海外で報じられたから正しい」もしくは「海外ではすでにこう報じられているのだから」。こんな解釈自体は、今回の騒動やラグビー以外の報道でも日常的といってもいいかも知れない。

 

だが、そのいわゆる「情報ソース」の信憑性はどう判断したのか。多少なりとも名の知れた媒体で記事になっているからお墨付きという解釈だとしたら、すこし乱暴のように思える。事が些細な噂話程度ならまだしも、今回のような事案であれば尚更だ。

 

このように信憑性を問う背景にあるのはオーストラリアでの報道という点だ。ラグビー報道に関しては我々が学ぶべき記事や記者も多くいる一方で、AR(オーストラリアラグビー協会)と非常に近い立ち位置で報じられている記事も目につく。

 

古くは、とあるスター選手の差別的発言問題もこのような臭いがあったが、他にも日本でプレーするワラビーズ経験者が、あたかも所属する日本チームの影響で代表遠征に参加するのが難しいと、やんわりと印象付ける記事も目にした。

日本の現場取材では、所属するオーストラリア人選手に母国協会からすこし高圧的な〝サジェスチョン〟があったようだという話も聞いた。

 

個人的な意見になるが、このような過去の報道からは、自分たちの正当性を確保するために、対峙する側に不利な情報を流しているような印象を受けている。

 

今回の騒動でも、すこし度を越しているような「エディー憎し」というトーンの記事もある。例を挙げるとこんな論調だ。

 

「ラグビーコーチの第一人者としてのエディー・ジョーンズの名声が、おそらく現在復活できるのは彼が奇跡を起こした人として今でも覚えている日本だけだろう」

 

「イングランド代表監督を解任されてから、タスマニアからトゥイッケナムまで嘲笑されるような悲惨なメロドラマを始めてから1年と1週間。63歳の彼は日本に戻って、まだ世界的な試合で提供できるものが残っていることを証明しなければならない」

 

確かに22年シーズン以降のエディーが指揮したチームの成績やパフォーマンスを見れば、批判もやむなしかも知れない。小生も、HCに誰が適任かと問われれば、エディーが絶対的な存在だとは思っていない。

 

だが、引用した記事の一部からは、監督として2度ワールドカップの決勝の舞台に立ち、帯同アドバイザーとして世界制覇を遂げたコーチへの敬意は微塵もない。紹介した以外の部分でも「(日本代表HC就任は)必然的にソーシャルメディア上で激しい怒り、憤り、非難の声に見舞われた」という表記があるが、この書き方は記者自身の、取材を続ける中での見識を避け、不特定多数の声を怒りの代弁者として使うことで、エディーに対するネガティブなイメージを助長させているようにも受け取れる。

 

文化的な背景も認識しておく必要があるだろう。これはあくまでも私見であり、センシティブな事例だが、今回の騒動が起きてからブリスベン近郊に住む友人に聞いたのだが、かの国にはいまだに泊豪主義時代の名残は残っているという。12月のコラムでも触れたが、日本以上にリベラルな国民性を感じさせる国にも例外はある。そのような価値観を持ち続ける人たちから見ると、アジア人の風貌を持つ、タスマニアから出てきた男が、成功をおさめる中で、歯に衣着せないような論戦を挑み、協会やメディアとも対峙している姿をどう受け止めるだろうか。

 

昨秋のフランス滞在中から、時間のあるときに今回の騒動の記事は読んでいたが、その時点で感じたのは、かの国での、特に感情的な領域の報道については、6掛け程度で受け止めるか、万が一そのような記事を引き合いに出すなら、しっかりと裏どりをするべきだという認識だ。

 

同時に鼻についたのは「本音と建前」という領域だ。国内、海外を問わずだが、代表監督の人事を、メディア、あるいは世論はどう受け止めているのだろうか。

 

正攻法、つまり建前にも踏まえた理屈なら、他国の代表監督との秘密裡な交渉はアウトだろう。だが、事はいかに有能な指導者と契約できるかという厳しい争奪戦の場だ。ここからは、さらに相当な私見で書かせていただくが、もしエディーが本当に有能な指導者だとすれば、どの国もフェアに横一線からヨーイどんで交渉することが果たして現実的なのだろうか。

 

残念ながら、本当に世界でも有数な指導者というのは限られている。その才能を、これから世界のトップ8、トップ4、そして頂点まで狙おうという、まだ〝最上級〟ではないチーム(国)が獲得するには、相当な〝曲芸〟が必要だと考えてもいいだろう。

 

なので、様々な〝憶測〟記事を読む中で思うのは「この記事、本音なの?建前を論じているの?」という疑問だ。もちろんパブリックな存在であるメジャーなメディアでは、本音と建前を上手くバランスを取ることも求められるケースはある。だが、書き手が果たしてどこまで本音と建前をしっかりと理解し、咀嚼しながら取材し書くことが重要だ。

 

その一方で、このケースでの理屈としては、もし〝密約〟があったとしたら、当事者側は墓の中までバラさず持っていく必要があり、報じる側は今のところ誰一人として、その密約をえぐり出すことに成功していない。その証拠を掴めずに、海外の記事に寄りかかりぱなしで、疑惑だ疑念だと騒ぐのもいかがなものか…。

 

自分自身の立ち位置も明確にしておくために、状況をどう解釈しているかをお伝えしておくと――

 

・エディーがベスト中のベストの候補とは考えていない(考えていなかった)

 ー選択権を持つならジョー・シュミットだ

・優秀な指導者を獲得するには、本音では裏取引はあり得る

・報じる側の合理的な判断だけとは思えない姿勢は存在すると思う

・本音の議論をしたいのか、建前の議論なのかを認識して書くするべし

 

さらに乱暴な話をすれば、どうやら南半球あたりを中心に日本協会の土田雅人会長も悪代官のように奉られているようだが、1995年からラグビーを取材し続け、土田雅人というラグビー人にもサントリー監督、日本代表コーチ、協会、サントリー重鎮として接点を持ってきた経験からは、良し悪し含めて濃厚な接点を持ってきたエディー・ジョーンズという指導者と、もう一度タッグを組んで大きな目標を達成したいという思いを持っても何の異論もない。

 

エディー就任会見では、会長自ら公明正大さを力説していたが、建前上ではあっても国際ルールーは守りながらも、「オレが目の黒いうちに、もう一度エディーと組んで美味い山崎を飲みたい」という主張で、多くのラグビーファンは十分納得するはずだ。

 

エディーについて、手腕を厳し目にも書いたが、昨秋のフランスを旅してあらためて考えさせられたのは、ジャパンは王道を歩んではいけないということだ。

 

王道の真似をしても勝てないのは、古く平尾ジャパンでもしっかりと教えてもらえた現実であり、20年以上の時間が過ぎても、人類の進化同様にそう大きな変わりはない。乱暴に書けば、やはり百姓一揆のような要素が必要だろう。

 

その観点から、今回のブリーフィングをみると興味深いヒントは多分にある。では、実際に半年後のイングランドはじめ、スコットランドやアイルランドにどう戦い、勝てるのかは確かに未知数だ。だが、目の動きなどのエリアに象徴されるように、常套手段という枠組みから飛び出た領域でも、勝つための術を模索する欲望や貪欲さは認めたい。

 

「目」に関していえば、日本人が電車の中で目を伏せたり、周囲の人と目を合わせたがらないのは、古く侍時代、もしかしたらそれ以前から日本人が抱く、目から自分の心にあるものを読み取られたくないという感性も大きく影響している。日本人にとっては、目は思考であり、その人間の本当の姿を映す鏡なのだ。

 

もし、そんな目の果たす役割までも追及しながら、桜のジャージーが2015年のブライトン、19年のシズオカのように再び世界にイノベーションを巻き起こすファイトを見せることが出来れば、少なくともこの3年間は面白いジャーニーになる。