▲サクレクール寺院前からのパリの壮大なパノラマ。お別れを告げるにはいい眺めだ

 

 

少々お詫びがてらの最終回。

 

31日夜のパリ発前に仕上げて〝現地〟で完結というつもりだったが、なかなか目論見通りにはいかないものだ。

 

30日朝の異変が祟ってしまった。

起床時点で、若干体を冷やしてしまったと気付く。「なんとか残り2日を逃げ切ろう」と思いながら、パリ市内の用事を済ませつつ本業のフィニッシュへ。これが、体調の悪化にお構いなく予想外にストーリーが広がり長期戦へ。結果的に、最終チェックを終えて編集サイドに渡したのは、帰国後の3日早朝になってしまった。

 

で、当然のこと絵日記は後回し。フランスでの2カ月は、結構、コラム出筆の合間に書いたりもしたが、30日から極東への渡航も含めて体力ダダ落ちの状態では、そこまで余裕なし。おそらく、緊張感が解けて、長旅の疲れもドドっと押し寄せてきたのだろう。

 

 

▲で、こんなヘロヘロの時に限って飛行機のモニター

動かない。流石、某大国フラッグシップキャリア!

 

 

てな、長たらしい言い訳で、彼の地から9700㎞離れたところで、最終版を書き上げている次第です。

 

現地での最後は第22話。10月23日朝のアップとなっている。

現地滞在56日という旅だったので、2.5日に一本なら、まぁまぁと自己採点しておきます。ま、適度にやっつけもあったけどさ。

 

まぁ、せっかくなので最後の数日の絵日記を書いときましょ。

ご存知かも知れないが、いわゆる「観光」って関心が薄い性分だが、最後はパリ市内宿泊も多かったので、すこしミヤコを歩いてきた。

 

 

▲パリのアパート最寄り駅。なんだか日本の某スポーツ紙みたいでいいよね

 

 

まずは、真面目なお仕事で「日本文化会館」に寄った時は、最寄り駅より3つほど前のバス停で下車してエッフェル塔を横切った。ここは、あの鉄骨の塊もご立派だが、その向かいにあるシャイヨー宮の広大なコンコースがお目当ての場所だ。

 

 

▲ここで伝説のボレロが演じられた

 

 

おそらく、かのお馬鹿さんがはしゃいで両手を突き上げた痛恨の写メをアップしたのも、このあたりと推察するが、もちろんお目当てはそんな姉さんではない。こここそが、ルルーシュの意欲作 Les Uns et les Autres(邦題:愛と哀しみのボレロ)で、ジョルジュ・ドンがベジャール振付のボレロを踊り切った場所だ。

 

高校生ながら、都内の映画館にこの3時間を超える長編を観に行った最大の理由が、20世紀バレエ団の公演しか観ることが出来ないボレロを映像で拝めることだった。エッフェル塔を対岸に仰ぎながら夜のパリに浮かび上がるドンの舞は、官能と優美、そして生を発散し続けていた。

 

ドンの残像を思いながら、この広大な広場に立つと、まるでこの旅3度目の墓参りに来たようにも思える。ウェブ、ジム、そしてジョルジュ。後天性免疫不全症の治療薬がもっと早く流通すれば、もっと遅くに発症していれば、かの天才ダンサーは、我々に何を見せてくれたのか。

 

 

▲なんだか秋の風景ね▼こちらはサンドニの宿からの眺め

 

 

南アフリカの連覇を見届けた翌日に向かったのはコンコード広場。ここも有数の観光地だが、そこらへんは関係ない。まず、閉店間近のオフィシャルショップを覗いてから、すこし長めの散歩のスタート地点としてこの広場から歩き始めた。ショップについては、以前も書いたがバッグが臨界点というほど満杯のため、余程価値のあるものしか買う気はなかったが、嬉しいことに期待通り触手が伸びるようなものはナシ。ポルトガル関連の何かがあれば検討候補だったが、何故かウルグアイはあれどポルトガルは皆無でもあった。

 

 

 

 

で、この日の散歩は、コンコルドからチュイルリー庭園を通り、ルーブルを横目にノートルダムまで歩いて、最後はバスティーユ広場までというセーヌ沿いのコース。コレ、歴史の授業だとマリー・アントワネットの断首台から革命勃発までを遡る旅。その中間点で、あのショッキングな炎に包まれた大聖堂の修復具合は確かめておきたかった。

 

 

 

 

 

ブルボン朝が断たれた舞台から、パリの優雅さ、豪壮さ、そして貪欲さを感じさせる街並み眺めながら、最後は市民の怒りが沸点を越えた地に辿り着く散策は、いろいろな思いを巡らすには最高のルートだった。そして、日本なら半壊した熊本城を思わせるノートルダム大聖堂の修復光景は、この国の人たちの文化に対する不屈の精神を感じさせる。ノートルダムは正面の姿が一般的だが、実は後方の半円形状に並ぶ飛梁の造形も美しい。正面ファサード以上に損傷の激しかった部分だが、なんとか修復が進んでいたのにはすこし安堵した。

 

 

▲サンドニで暮らしていると、こんな景色に緊張する。近くて遠い町

 

 

▲このアール部分、わかるかなぁ

 

▲記念碑以外痕跡は何もないが、間違いなくここから革命は始まった

 

 

ふらふらと寄り道しながらなので、おそらく都合5㎞強の散策。イイ感じに疲れたが、出掛けにアパート最寄りの肉屋でチキンと一緒に購入した、付け合わせのポテトの焼き汁がすべてこぼれてしまっていたのを覗けば、有意義なお散歩だった。

 

 

▲こんなんぶらさげてパリを歩き回ったら

▼すこしパサついたおいもさんになっちゃったよ

 

 

もう一か所、お上りさんで向かったのはサクレクール寺院。モンマルトルの丘に聳える白亜の寺院だが、一番の見どころは寺社ではなくパリを見渡す絶景だ。ここは、小生が初めて海外を旅した時の思い出の地の1つでもあるのだが、この高台からの眺望は56日の滞在に別れを告げるのに相応しいものだ。丘を下る途中の階段の上からは、遠方に聳えるスタッドの雄姿も拝むことが出来た。

 

 

 

▲遠景だと分かりづらいが、ズームするとこんなカンジ▼

 

 

▲しょうもないお土産は世界共通👍

 

 

プール戦の間は南仏中心ながら各地を移動しまくり、大まかな計算では国内移動は7000㎞を超えたようだ。

 

東京からの往復も含めると56日間で移動したのは26000㎞以上。結構な距離を旅したが、得た物も少なくなかった。終盤に来てトシも痛感させられるなど今後への不安材料もあったが、ピッチ上で、旅の先々でもらった収穫には代え難い。

 

〝オック〟の旅は完結した。次の新たな細道からの誘いを待つとしよう。