27年の激しい人生とはあまりにかけ離れた静寂の中で、奴は眠っていた。
ジェームズ・ダグラス・モリソン
その耽美で魔術めいた詩で、多くの若者を誑かした男は、パリの美しい墓地ペール・ラシェーズに眠る。同じように、言葉で読むものを唆したオスカー・ワイルドと同じ地に眠るのは本望かも知れない。
雨の中での対面になったが、それも悪くない。
平日の昼過ぎも、50年以上前に潰えた魂に触れようと、1人、また1人と訪れる者がいる。
▲こんな美しい墓地の中に奴は眠っている
▲墓地内のこの看板が目印だ
ウィリアム・ブレークの詩が由来のバンドの名だが、心の扉は自由に開かれると、その生きざまと数々の名曲で示した。
Let’s swim to the Moon
Let’s climb through the tide
Penetrate the evening that city sleeps hide
この一節の美しい詩が、すべての始まりだった。
さぁ、月まで泳ごう
潮を遡って
まるで闇に潜むように眠る町を突き抜けて
ティーンエイジャーを誘惑するにはあまりに美しい、UCLA映画学科の学生の作った一文節。それを聞いた学友レイ・マンザレックを、バンド結成へと動かした。
▲墓地正門にはメトロ2号線Pere Lachaise(ペール・ラシェーズ)駅だが、
奴の墓への最寄は1駅先のPhilippe Auguste(フィリップ・オーギュスト)
▲大通り沿いを戻るように歩くと正門より前にこんな道標がある▲
▲入り口は細やかだが、ここから3分かからず墓石に行ける
その音楽性も、様々な可能性のドアを開いた。
ロックンロール、ブルーズ、スパニッシュにボサノバ、そしてコンテンポラリーすらも、奴の野太く、ハスキーな歌声が、挑発的で、退廃的なドアーズサウンドに昇華させた。
そしてライブは荒れまくった。
詩の朗読もあれば、正統派のアメリカンロックを謳い上げ、Roadhouse Bluesでブルーズシンガーとしての才能を爆発させた。最後は、ステージ上でレザーパンツのジッパーを下ろして、待ち構える警官の前で、こう叫んだ。
Mother ○ucker!
それは形骸化した社会への怒りであり、欺瞞への怒りであり、変わらないものと変わろうとするものの間に起きる軋みでもあった。
▲墓石の手前には鉄柵があり、この位置からは近づけないが、献花も後を絶た
ない。ま、奴のことだから花より〝ある〟乾燥植物のほうが嬉しいだろうが
叫び、警官に抱え込まれてステージから引き下ろされた時、奴はオイディプスになり、オスカー・ワイルドになり、世代の神になった。
奴はLight My Fireと謳ったが、
こういう生き方は、人間の生命を27年で燃え尽きさせるのか。
ジミ然り、ジャニス然り…
奴が去ってから8年が過ぎたとき、UCLA映画学科の同級生が1本のフィルムを作り上げた。
コンラッドの小説を、自身でヴェトナムを舞台に書き換えた。
そこに描かれたのは、アジアの小国ではなく、祖国の狂気、そして良心へと遡る魂の旅だった。そしてオープニングは、ナパームに赤く燃え上がるジャングルの映像の中に、静かに奴の歌声が流れた。
This is the End beautiful friend
This is the End my only friend
7分を超える楽曲自体もだが、奴の描く、内面からローマの荒れ地までを謳い上げる世界観を、このフィルムメーカーは、アメリカの狂気と、良心に対する贖罪という叙事詩の中にも込めたかったのか。
そんな思いを巡らせながら、この墓地では小さな墓石に背を向けて、日常へと歩き始めた。
この墓地には、先のオスカーはじめ、マルセル、アメデオ、エディット、様々な才能が眠るが、奴の眠る墓石を見れば、もう過去の魂は十分だ。
▲雨の大通をパリ中心方向へ歩いてハートと脳の火照りを覚ます
▲献花するなら大通り沿いに花屋も。墓石が必要ならこちらで▼
最寄りのメトロも回避して3駅ほど歩いて、心と頭の中の火照りを覚ます。
わずか27年の生涯。だが、マイクを握り、ステージで吠えた時間は、それ以上に短く、儚いのに、なぜ、50年が過ぎ去った今も惹きつけられるのか。
▲駅前まで戻って、まずエスプレッソで現実世界に引き戻される
▲この旅で初めてハットのありがたさを感じた1日
間違いないのは、奴が開け放ったドアーを閉めるのは、どうやら難しいということだ。
明けられたドアーの向こうにあるのは、自由か、狂気か、それとも涅槃なのか…
奴に魅了された者は、答えが見つからない旅を続けるしかない。