▲本当に誰が訪れても「素敵な町」と言いそうな

 

 

さぁて、ジャパンも去ったところで、絵日記を更新。

 

敗退後、記者の基本コースは帰国するチームを追いかけパリCDG空港へ。

そのまま帰国する者、フランスで本番をカバーする者、そして傷心の旅へ出る者、それぞれだろう。

 

で、傷心ではないけど、数日ラグビーを離れようと、敗戦の夜から翌日の午前中を使って、旅先を物色した。その結果として、目指したのはLe Pouliguenという町。ル・プリギュンと発音するようだが、一切の情報なくニース近郊の宿からSNCFに飛び乗った。

 

この町、一切の情報はなく、ひたすらGoogle mapを眺めて行き先に決めた。ブルターニュ地方に足を伸ばしたかったが、時間等も顧慮して、比較的アクセスしやすいニースから西へSNCFで繋がる町を物色。第一候補は、西の終着点のLe Croisicだったが、9日の夜が、お目当ての宿が埋まったこと、そして、Croisicがそこそこ栄えている(とはいえ村レベル)恐れを回避して、町中のホテル数がマップで見る限りは、かなり少なく、こじんまりした見知らぬ街のアパートを2泊(しか受け付けていなかったので)押さえた。Croisic同様、ここも大西洋に面した町だ。

 

ただ、旅程確定がルーズなため、移動を始めた午後には、かなり直行便が少ない。ニースまでの列車で乗り換え、途中の比較的大きな町Saint Nazaireで2時間待ちしてようやく18時すぎに目的地の駅に辿り着いた。

 

写真を見ていただいてわかるように、駅に降り立った時の脳内に響いたのは「Bingo!」。

おとぎばなしのような、小さく、寂びれた駅舎を見て期待度は高まった。

 

 

 

 

 

 

が、しかし、その思いが5分もくと幻想に終わる。殺風景な駅前から街中へと進むと、まぁご立派なアパートが続々と見えてくる。そして、海沿いまで歩くと驚く程の数のボートが係留されている。もちろん漁船ではなく、クルージングやお楽しみのためのものばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、追い打ちをかけるように予想外だったのは、この町の人たち。

 

ここまで、どの町でも遭遇してきたブルキナファソやコートジボワールのアフリカ系移民、アルジェリアやモロッコの人たち、つまり我々と同じいわゆる有色系の人たちが、ほぼ皆無といっていい町だった。つまり、この町には伝統的なフランス人、コーカソイドの方々しかいないのだ。

 

その人たちも、年齢層でいえば、どこへいってもおじさん世代の小生が、最も若年層という構成。老後を夫婦で静かに暮らす、比較的裕福な白人系の人だけで構成されている町に、今回の旅で初めて来たことになる。

 

おそらく、こんな斜に構えた偏屈オヤジでなければ、特にうら若き女性なら(これを読んではいない人たちだが)、かなり心が弾む町だろう。すこしも物騒だったり、何をしているのか分からん人もいない。町の路地には花が飾られ、日中は出歩く人もまばらという町だ。夕暮れ時のビストロやバーのテラスの風景など、多くの人が気に入るのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、目的はジャポンのまとめを書き上げようというものなので、ひたすらアパートとカフェでPCを叩いていたので、そう不都合があったわけではない。むしろ行きべき場所、歩くべき筋がないぶん、PC叩きは順調だ。

 

 

▲ここに暮らし、泊まる人たちにはビーチが主な魅力だが、小生にとって

この森がいちばんのお気に入りになった。決して広くはないが、木々

まれ、鳥の囀りと、遠くのペタンク場の声しか聞こえてこない安らぎ

こういう和める場所の作り方は欧州人に学ぶべきところがまだまだある

 

 

アパートもここまでの最高クラス、かな?

リビング、ベッドルームに、だだっ広いバルコニーが窓で仕切られてダイニングと、ソファー一式。カップルでの滞在にお薦めですわ。

 

 

▲こちらリビングからベッドルームを眺める光景。ベッドの奥には2畳ほどのクロ

ゼットも。背中越しにキッチン、右奥がバスルームで、左が下の写真のバルコニー

 

 

▲元ベランダを部屋にしているダインイグと2つ目のリビング。

キッチンはPC叩きに最適で、奥のソファーは昼寝と読書タイムに

 

 

▲見た目もご立派で、ここまで泊まってきたアパートとはかなり雰

気が違う。左木立の中には人工池があり、午後は鴨さんの憩いの場に

 

 

 

 

15分あればすべて回れるようなダウンタウンは、雑貨屋を見ると写真のように、ビーチのお遊びグッズも並んでいる。ここは日本にも似ているが、夏休みや週末は、お子ちゃま連れの家族も多く来るのだろうか。

 

おそらく十中八九は「素晴らしい」と感じる小さな町。だが、小生自身はすこしだけ居心地が悪い、というか何か違和感を感じてしまう。

 

「時間が停まったような」という言い回しはどこにでもあるが、それは中世やローマ時代を指す。だが、この町の時間は、旧植民地を中心にこの国に続々と移民たちが押し寄せる前の時代で止まっている。そこには、善も悪も含めた生産性というものがなく、刻々と消費が続く町でもある(実際にはその消費により町の生活が潤うのだが…)。〝古き良き時代〟から停まってしまった町。ここだけは10年後もあまり変わらないのかも知れない。

 

いま町を優雅に散歩する年老いた夫婦が人生のノーサイドを迎えれば、また新しい続く者たちが、年老い、ここにやってくる。永続的に繰り返されるこの町の暮らしは間違いなく、ここまでに訪れたどの町より豊かかも知れない。

 

だが、それと同時に、もう終わってしまっている町にも見えてしまう。この町から、何かが生まれることはない。

 

それは、名匠ルキノ・ビスコンティが描く世界にも似ている。老いゆく、そして没落して行く人たちの優雅な暮らしと、それに相反するように、止めることの出来ない老いや凋落の哀れさと喪失感。彼はデカダンという美意識で、素晴らしい凋落の物語りを撮り続けた。「地獄に落ちた勇者ども」「ベニスに死す」「ルードヴィヒ」そして「家族の肖像」との映画も優雅で、耽美で物悲しい。

 

この町も非の打ちどころのない豊かさを発散するが、何故か黄昏の時間が似合う。