湯原祐希が亡くなった

36歳はあまりにも若すぎる

 

昨日の22時を過ぎたあたり

仲間からメッセージが届いた

「湯原が亡くなったみたい」

あまりにも予想外の名前だから

逆に間違いないと感じた

 

26日、府中のグラウンドで会ったばかりだった

「どうなの、最近は?チーム順調?」

「いいっすよ!」

たわいもない会話がお別れの言葉になってしまった

 

流経大―東芝、そして日本代表

常にトップクラスのHOとして日本ラグビーを引っ張ってきた

サイズは国際規格ではなかったが

スクラムも強く、スローイングも計算できる

気の利いた言葉はなくても

ラグビーを体感で知る選手だった

スクラムが機能しているのか

FWが十分戦えるのか

そして、チームが勝てるのか

 

ワールドカップ2015年大会では

メンバー入りしながら出場チャンスはなかった

大会前のブリストルだっただろうか

出場への思いを聞いてみた

 

「なかなか激戦区だね」

 

「そうですね。もちろん出たいですよ。

でも、他の選手もいますから。みんないいんで」

 

静かに笑った表情が忘れられない

堀江翔太、木津武士の力を、誰よりも知っていた

悔しさの中でも仲間への尊敬と誇りを言葉に感じた

 

東芝でずっと背番号2を争ってきた森大志にも愛情を注ぎ続けてきた

数年前、練習後の森とおしゃべりしているときだった

横を通りがかった湯原がちょっかいをかけてきた

 

「あんなプレーじゃ、まだまだスタメンはないな!」

 

森が嬉しそうに噛みつく

 

「絶対、取ったるからな!見とけよ‼」

 

こんなキャッチボールが出来るのが、湯原という男だった

 

現役選手ではないが、あまりにも早すぎる

そして突然の別れ

東芝では、マンキチ(渡邉泰憲)に次ぐ悲しい知らせだ

 

ラグビーは、仲間の中でも、体が触れあい、摩擦が起こり、激突がある

だからこそ、絆が生まれる

残された東芝フィフティーンに、いま、かける言葉はない

どんな言葉をかけても薄っぺらいものになる

 

ただ1つ確かのものがある

会社とともに、まだまだ完全復活に挑み続けるチームに

もう一つ、戦う理由が増えたこと

 

名門チームながら

いままでも、多くの困難に遭い、乗り越えてきた

東芝ファンなら誰もが知っているはずだ

奴らは絶対に諦めない

 

Approching to Pinnacle

 

 

ありがとう

ユハラやん