ブログの投稿が少なくなっている、私です。
皆様、如何お過ごしですか?
最近、やっと、自分の時間が創れるようになり、友達と食事に行く。知り合いと会う。という事ができるようになりました。約2年間ホントそんな余裕がなかった。
そんな状況でしたが、自分に対しての感性の学びは欠かさずやってます。それは、『教える』志事を続けているからです。
人に教えるからには、人よりわかっていないと教えられないし、それを言語化して伝えなければならない。そして、体感・経験させてあげながら、それを活かして本人の感性・引き出しにして貰う。
こちら側だけの問題でもない。
こういった志事は、お互い立場や役割があるように、教える側と教わる側の『協働作業』なのではないかと思います。
そこで、『で』と『を』
この違いが多いに差があるし、差をつけるなとつくづく思います。
私が教えている演技・芝居に関してでいうと
①(私の)レッスン『を』習う
②レッスン『で』習う
③レッスン『を』学ぶ
④レッスン『で』学ぶ
海外のメソッドで演技・芝居をよくするのであれば
①メソッド『を』教わる
②メソッド『で』教わる
③メソッド『を』学ぶ
④メソッド『で』学ぶ
始まり・初めて触れるモノは、誰しもが①から始まりますが、人によって①で終わる人もいる。
そして、②と③で止まっている人が数多くいる。
特に、③で止まっている人が『そこで止まっている事』に気づいていない傾向にある。
だから、なかなか④に行けない。
④に行くとその先があって→
⑤自分の感性・想創感覚が身につく。
ただ、この『学ぶ』がなかなかできない人が多数。
結局学びは、『現場』(本番)を経験する。他に教室に行き、私に教わっている事と差異で、ちゃんとすり合わせして、整理整頓を自分でする事だと思う。
経験者は、いきなり④をやってしまいがちだが①から順の姿勢でいた方が良いと思う。
それは、教え手の人のアプローチや視点ディレクション(方向性)があるからだ。そこが、自分にとって必要か必要でないか、自分の感性感覚が足りなかった部分か、もともとあったものがより深くわかるようになるのか、etcがあると思う。
思うという言葉を使っている理由として、私個人が経験してきての『教え』であって、本人にとっては『正しい』伝え方ではないかもしれない。だから、思うと言わせてもらっています。
だから、学びとは、上記で言った事だけど教わってきたものを自分で整理整頓し、ちゃんと自分の感性と擦り合わせする事です。
つまり、教えている人があなたにとっては、正しい事を教えているかわからないと言う事。
ちゃんと自分で判断・選択し、自分のモノにして欲しい。
さて、自分の塾も何人か卒業カリキュラムに入っていて、皆苦戦している。といっても3人だけだが、丁寧に指導して行きたいと思います。
友達と行ったイタリア料理屋で、飲んだビール美味かった😊
最後まで、読んで頂きまして有り難うございます。
最幸✨👍
