2019年2月17日
今のヒロミはすっかり堕落して、21年前から
引きこもって、余生を送っているけれど。

21年前、白馬ジャンプ競技場。ジャンプ団体。
もう2度とこんなにも人が集まることがないでしょう、と思ったほど。
今日は天気がとてもいいけれど、たいへんな悪天候で。
そして原田選手が失敗してしまって。
1回目4位であとがなくて。
でも、それから、歓喜のときがやってきたんだ。
もう、一生そんなときは来ないでしょう。

だけど、去年のいまごろ、ヒロミはピョンチャンにいて、
あれほどまでの幸せはないものの、それなりに幸せに生きていたんだ。
去年の2月17日。

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かなり幸せに見えますね・・・
3年後、きっと中国のオリンピックに行っているんでしょうね・・・・


2019年1月26日
塚原さんのトークは終了したのですが・・・

質問コーナー(ほとんど意見?)
中学校の陸上部の顧問をしている先生から
うちの部は、遊び部と言われている。
陸上以外のこともやっている。陸上以外もやるべきと思うが、
そう言ってほしい。

答え
陸上以外、吹奏楽でトランペットやサックスも吹いていたこともある。
ほかのことに興味を持つことは大切、だんだん進路が絞られてしまうが、
そうではない、いろいろな選択ができるはず。
いろんなことに挑戦する、楽しむということが根底になければ、
楽しくなければ、やめたほうがいい。

須坂にお住まいの方から
かつて須坂は富士通城下町と呼ばれていた。
富士通の体育館もあった。川崎の次に須坂に工場ができた。

答え
長野は富士通の発展に寄与した場所。このつながりが、
レガシーとなり、今後にもつながっていく。

さらに、いろんな質問があり。

食事できないほど練習しなければいけないというのは健全でないと思う。

大きな大会で実力を出せないことが多いというのは、
準備が大事。有言実行なのは、準備が出来ているから言える。
それが嘘にならないのは、一瞬一瞬のフィードバックが自信になる。
今までしてきたことをちゃんと振り返る。
今まで何をやってきたか、これだけやってきたんだから、絶対できる!と。

アスリートとのふれあいタイム!
長野西高校女子は、バトンパスの練習!
その後だれもいかないので、ヒロミはじーっと見ていたら、
懐かしいですね?どこかで会ってますよね?
と塚原さんに声かけられる。

いや~・・・

中国でお世話になった通訳の方では??

いや~わたしはただのオリンピックマニア・・・

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その後、メダルをお借りしての撮影大会となり。
(ヒロミは最後尾)
で、ちょっとだけ質問も。
ご出身が岡谷ということですが、ウィンタースポーツ、スケートには
行かなかったんですか?

答え
スケートもやってました。
やまびこの森で。
でも、スケート靴が靴ズレして嫌だったんです。
(陸のほうがよかったんですね・・・)

すごく楽しい会でした。ありがとうございました。

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フォト by 国際課の人。
満面の笑みで写ってましたよ、と言われ。
中国でお世話した通訳の者ですって言えばよかったかなあ・・・



2019年1月26日


・「バトンパス」
オーバーパス:利得距離多い ダウンスウィープ
アンダーパス:利得距離少ない アンダースウィープ
距離は稼げないが、貰う選手の動きに制限がなく、安定する。

 須坂創成高校の陸上部の生徒が塚原さんと実演!

オーバーはバトンの端と逆の端を持つので距離を稼げるが、
落とすことも多い。

アンダーは渡す人が持つすぐ上の部分を握手するように渡すので安定する。
だが、渡していくうちにだんだん上に来てしまうのでそうならないようにする。

第3のパス「アンダーオーバー」を練習している。
アンダーで速くするということだ。腕振りのいちばん遠いところで渡す。
狭いレーンで選手がひしめいているところで渡すには習熟度が必要。
バトン合宿。バトンは29cm、それを短い20cmでやっている。

決勝後のコメントにも個性が現れる。
高平さんは非常に冷静で、ドライ。
アテネでは3走、4走で妨害された。

・北京後
メダルを獲得し、想像以上の反響があった。
朝原さんは引退した。そして、末続さんは無期休養・・・
彼は練習に来なかった。
高平さん(24)と塚原(23)は現役続行した。
日本陸上界を牽引する思いで続けたが、代表になれなかった。
アキレス腱の怪我が影響していた。
2016年に引退を決意した。

きっかけはリオ五輪で桐生選手がメダルを獲ったこと。
これは託そうと思った。
たのもしい後輩たちがいる。それぞれが10秒の先を目指し、
9秒台へ。
1/100秒の距離はわずか10cmだ。
その感覚を研ぎ澄ませることができるか。
レースのイメージをする。
設定タイムがあったら、それにあわせるようにしてください。
目標が下がってきたら、やめよう、と。

・引退後
一点集中でやってきた。全力をかけるのが当たり前。
バイトもしていない。普通の高校生の生活をしていない。
3年間のきびしさが、人とのコミュニケーションを培った。

てっぺんに登る選手はそこで終わりなのか?
そうではない。
競技後にマイクを向けられることが多い。
卓球の選手はメディアトレーニングができているが、
陸上界のスキルは低い。
自分の言葉できちんと表現し、伝えられるか?
できなければ、それは払い出しできないただの貯金。

短距離は、頭が良くなければ走れない。
瞬間・1秒1秒を大事にして欲しい。
何を考え、何を出せるか。
何も残らないほど競技で完全燃焼してほしい。
全力をかけたことに悔いはない。

これまではアスリートとしての人生のみ。
セカンドキャリアを求められているが、
シングルキャリアを生かしたい。無駄にしたくないが、
何を必要とされ、何をしたらよいか、思い悩んだ。
これからの人生にはゴールがない。

現役のときは組織が大嫌いだった。
そこに敢えて身を置いて、見える景色があるのではと思った。
上司、社長と話しながらコミュニケーションスキルや
ビジネスマナーを磨く。
メダリストとして恥ずかしくない言動を目指す。

リレーにおいては、
後輩に夢をつなぐことができた。
広い視野で10秒の先を目指したい。

北京オリンピックから10年たち、1度もあのメンバーが揃わなかった。
リオのメンバーの表彰式に、北京メンバーがプレゼンターとして揃った。

2019年1月26日

・2008年オリンピック選考
100mで2連勝中だったが、4月に怪我をした。
アキレス腱は致命的だった。
6月に日本選手権、7月がプレ五輪。
そこを見据え、逆算してどうしたらよいかを考えた。
1日、日単位で練習、時間の使い方を考えた。
毎日が勝負だった。

日本選手権の当日は雨だった。
この状況を、どういう気持ちで臨むか。
雨が嫌だとは思わなかった。
1日1日を思い出すくらいに練習してきた。
社会人1年目だったが、自分をマネージメントできていた。
雨が幸いした。
朝原選手に勝った。記録は10秒31。
勝ったといってもともに戦う仲間だった。

ついに「オリンピック出場」という夢はかなった。
自分はここまでやってきた、という自信はあった。

・北京オリンピック
「鳥の巣」と呼ばれる北京国家体育場。9万人収容。
またオリンピックに出たいと思うのは、あのスタジアムを埋めている
観衆を感じたいと思うからかもしれない。

オリンピックの期間は長い。
大会の前半は柔道などの競技が中心で、開会式はテレビで末続さんと見ていた。
後半組は、前半組と空港で入れ替わる。
種目を超えたバトンの受け渡しがあり、
後半組は閉会式に出る。

・個人100m
個人の100mは10秒の先を狙った。
準決勝まで行った。
これでガス欠になった。でも準決勝まで行ったことが大きかった。
当時は一次予選、二次予選、準決勝、決勝というシステム。
一次10秒39(2位)
二次10秒23(3位)
準決勝10秒16(7位、敗退)
タイムは伸びているが、順位は落ちている。
自分だけが調子を上げているのではない。
10秒16は自分のシーズンベストだった。
ベストを尽くしたが、右足にダメージがあった。

朝原さんに声をかけられた。ここまでこれたのは、
実力か運か?どっちか?
(謙遜して)運を答えた。
自己評価では120%実力を出せたと思う。

・「4×100mリレー」
第1走者で走った。
メンバーは大阪大会と同じになった。
かなり鼻息荒い状況だった。
自分を鼓舞せずにいられない空間だった。
何かせずにはいられない!
リレー順 塚原、末続、高平、朝原
4人にはそれぞれの役割があった。
1番 他を圧倒する爆発力
(足の怪我がネックだったが、足がもげてもいいから走る!と思った)
2番 流れを殺さず勢いをつける
3番 冷静な判断 外からの妨害を寄せ付けない

ふたを開ければ3位だった。
当時の目標は入賞。朝原さんのラストレースだった。
アメリカとイギリスが失格したということもあった。

大阪大会の順位は、アメリカ ジャマイカ トリニダードトバコ ブラジル イギリスだった。
身体能力の差は感じる。何かを磨かなければ。

(つづく)

2019年1月26日
塚原さんの紹介!
トラック競技日本人初のメダリスト
(北京オリンピック陸上400mリレー銀メダリスト)
大きな大会ほど力を発揮する日本人としては珍しい選手!


「バトンパスでつないだ夢~10秒の先を目指して~」
・自己紹介
 2016年に競技から引退
 現在は富士通(株)人事本部企業スポーツ推進室に所属

 今日はホストタウンのイベントであるが、食に興味はあるか?今まで各国転戦し、何から学ぶか、というと食から学ぶことが多かった。中国の料理は親しみのある身近なものと感じている。そういったことから交流を深めていきたい。
 ちなみに出身の岡谷市はカナダのホストタウン。中国といえば、治療を受けていた中国針のフー先生(さきほど中核事業で交流のあったフーさんと同じ名前でありますが・・・)を思い出す。
 現在は3児の父、東海大三高(現東海大諏訪)→東海大→富士通という経歴で、長野東高校の先生にお世話になったが、今日は駅伝の方に行っているということでお会いできなくて残念。
 06年~08年には日本選手権100mで優勝した。若い人たちも、こういう大きな大会を目標にしてほしい。何か目標がなければなかなかレベルは上がらない。
 北京オリンピックリレーで持ってきた銅メダルは銀メダルに繰り上がることになった。モノだけが変わることは当事者としては複雑だが、ルール違反はルール違反としてアピールしていく必要がある。競技とドーピングは密接にかかわっていく。ばれなければいいということではなく、クリーンアスリートとして競技を続けてほしい。

・現在の活動
 川崎フロンターレ、富士通アメフト部のスプリントコーチとして活動している。彼らはボールの扱いはすばらしいけれど、ボールがないときでも早く走れた方がいいよね、ということでアドバイスしている。川崎フロンターレの前身は、富士通サッカー部なので、富士通との関係は深い。
 富士通スポーツの強化部門は3本柱で、
アメフトのフロンティアーズ(3年連続日本一)
女子バスケのレッドウェーブ
陸上(ニューイヤー駅伝4位)
 長野県大町高校の監督福島さん、選手の峰村こうたも二人とも大町で、近所に住んでいるらしいですが・・・そして、競歩の鈴木ゆうすけは今世界記録を持っている。
 陸上界としては、ロンドンオリンピックをピークに、今は若干右肩下がりの状況である。
 川崎スポーツフェスタ(富士通スタジアム)の開催している。この写真は、引退した直後の一時期、賛否両論あったが、けじめをつける意味で坊主にしていた。

・10秒を感じる
 10秒計ります。この間にどのようなことを感じるか。長い?短い?
 自分は「10秒」で人生変わったが、普通の人間に戻って、何かできるかといえば、あまり何もできない。
 以前の講演会で、電車に乗り遅れそうになり、走って間に合わせたという人がいたが、日常で10秒の大切さを感じるのはそのくらいかもしれない。

・子どものころ
 体が弱かった。サッカー、野球、ミニバスケット、水泳などあらゆるスポーツをやった。そのほかに、和太鼓やボーイスカウトにも入っていた。思えば、スポーツもリズム感が大事、和太鼓はその点でも役立ったかもしれない。今、アディダスと小学生を対象にしたリズミックトレーニングというイベントを行っている。リズムで、肉体感覚がわかってくる。たとえばサッカーで相手をかわす、フェイントをする、という動作はリズムが必要な気がする。陸上でもスプリントをするときにバランスがくずれると減速してしまう。
 小学校3年から陸上で幅跳びを始めた。高いところにタッチするのが好きだったから。走ることも好きだった。ほかの人より少しは速かったが、小6で12秒98、あんまり速くない・・
 中学で陸上部に入った。そのタイミングで陸上の得意な先生が顧問でやってきた。中3で全国大会200mで優勝した。ジュニアオリンピックという名前だった。そこでオリンピックという言葉を意識した。それまでの夢は大工だった。家を建てたいと思っていた。卒業文集には「オリンピックに出ること」と世界への夢を描いた。
 実はもっと前にも世界へのきっかけはあった。東京で世界陸上が開催され、日本人選手が400mで決勝に進出した。大学の恩師でもある高野進さんである。44秒75は未だに破られていない日本記録だ。そろそろ塗り替えてもらいたい。
 最近、100m9秒台の記録を誰が出したか知っていますか。(会場の陸上部所属の高校生:知らない・・・)桐生選手だ。最近は山縣選手の方が安定して記録を出している。だが、9秒台を出したレコードホルダーの責務として、思いは持ち続け、これからの短距離界を引っ張っていってほしいと思う。

(つづく)
 

2019年2月2日
ものすごく久しぶりに、熊川哲也さんの出演するバレエに行きました。
熊川さん、46歳。
いまはダンサーというよりプロデューサー?
でも今回は「第九」に出演ということではるばる来ました。

アルルの女と第九の二本立て。
この公演の前に、てるちゃんと会って、ランチして、
公演中咳き込むといけないので薬飲んだら、
眠くなる。

あああ、アルルの女。
まさに、南フランスの衣装、
だけどモダンな振り付けで幕開け。
でも眠くて・・・
最後の悲劇的結末。
嫉妬に狂ったフレデリが、窓から身を投じる結末。
その振り付けは、すばらしかった・・・

眠いとか言いながら、幕間に、グラスワイン。

そして後半の第九は4つに分かれており。
クリムトのベートーヴェンフリーズとは解釈がちょっと違いますね。
とか思いながら、やっぱり眠くなる。
太陽と月、を思わせるふたりのダンサーはすばらしいですね。
だけど、いつ、熊川さんが現れるか、そればかりをきにするわたしは、
いくら弟子がすばらしい後継者になろうとも、
だめなんだということを、
認識しただけで。

それは、ジャンプ界における原田選手、
スケート界におけるジュベール選手、
それと同じで、弟子がいくら活躍しようとも、
それだけでは、ヒロミを夢中にすることはできないということ。

それをただ、認識しただけで、

技は、若者のほうが、すばらしいのだろうけど、
熊川さんが、最後に登場しただけで拍手がおこり、
ラスト、第四楽章、歓喜の歌、合唱付き。
太陽と月と思われるふたりのダンサー。
そして白と黒の衣装の熊川哲也。
これは宇宙を司る?
彼はもう衰えてしまったのかなあと思ってみていたけれど、
最後の10回転くらいがすばらしく、
目が覚めるようで、
宇宙のような、星空で幕。

眠かったけど、これを見ただけでもよかったのだなあと思いました。
彼じゃなきゃ、だめなんだ。
2019年1月26日
2020年東京オリンピックに向けて長野県と4市2町は
中国のホストタウンとなりました。
ということで関連イベントに参加。
長電に乗って須坂まで行きましたが、雪がみるみる
降ってきて、これで人集まるか?ちょっと不安。

長野県国際課の担当者さんから概要説明

2020年東京オリンピックに向けて、参加国と自治体が交流する事業。
スポーツ立国を目指し、また、グローバル化、地域活性化もすすめる。
現在358自治体が登録している。
県内でも、佐久市がエストニア、駒ヶ根がベネズエラ、安曇野はオーストリア、
など参加している。

これは、1998年長野オリンピックのときに長野市が始めた取り組み、
1校1国運動がIOCから高い評価を受けたことからモデルとしている。

長野県は日中友好協会と長い交流があり、
製造業を中心として密接な関係がある中国と、
日本一公民館が多い特徴を生かし、交流をしている。
2020年東京オリンピックのあと、
北京で冬季オリンピックが開催される2022年まで交流を続けていく。

実行委員会の中核事業
リーダー養成
オリンピアンとの交流
公民館を拠点とした交流
・中国出身者と餃子やかぼちゃ餅づくり
キックオフイベントの開催
・有識者、パラリンピアンとの交流
・アイススレッジ体験、中国茶コーナー
傅益瑤( えきよう)画伯との交流

自主事業
・学校間交流(まんじゅうつくり、太極拳)
・長野大学の運営企画(食文化交流)

というわけで、このあとは、岡谷出身、北京五輪銀メダリスト
塚原直貴さんのアスリートトークです。
2019年1月20日
NBS開局?周年記念イベントとしてのプリンスアイスワールド。
記念イベントだったら、せめて、スターズオンアイスを・・・
と思ってもしょうがないか。

思えば、20年くらい前、アイスショーに憧れ、新横浜まで見に行きました。
ガチャピン&ムックと伊藤みどりのアイスショーでした。
で、八木沼純子と佐藤有香が出ていました。
フィナーレは、宝塚と同じで花をしょって出てくるようなショーでした。

時は流れ、ゲストにアブトが出たり、プルシェンコが出たり、
プルシェンコの代役でジュベール様が出たり。

で、時は流れ、日本にも世界に誇れるスターが生まれ、
現在に至る。

で、40周年。
テーマは「ROAD OF THE ICE」
使う曲が、おしゃれな海外の曲になりました。
昔の、歌謡曲を使ってベタな感じだったころがなつかしいぞう。
はっきりしたテーマという点では、
昔のほうが目指すものがわかりやすかった?

で、今回、選手とふれあえるエキサイティングシート、
がんばって、本田武史さんに花束用意。

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権堂の花屋さんで、ラテンの袖!TicoTico風に!
(もう少し、オレンジ多めがよかったな)
外は雪。
駐車場から、ヒロミは濡れてもいい!
花束が濡れないように、傘で守りながら入場。

で、本田くん。やっぱり最近はしっとり系なんだよなあ。
お手紙に書いてしまったけど、激しいの希望。
だからTicoTco!

さいごのふれあいタイム。
本田くんとツーショットするといつも自分がまともに写らない。

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で、本田くんのこどもじゃないよ。みゆちゃん。

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そしてまりんちゃん。

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荒川さん

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いつ見ても美しい。
タンゴ・ジェラシーすばらしいですね。

小塚くん。

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織田さんや安藤さんはとまってくれなかったよ。

2019年1月14日
スマホ変えて、格闘することはや3日目。
連休を無駄に使っている・・・
auから、頼んでもいないのに、勝手にいろんなお知らせが来る設定になっていて、
もう、全部解除!
勝手にいろんなアプリが入っていて、全部アンインストール!
で、肝心のログインしたいものには入れず。

エールフランスの、フライングブルー会員のページにどうしても
入れない。
会員番号とパスワード、入れるとパスワードが短いので
変えましょうと。

で、変えようとすると、秘密の質問を聞いてくる。
でも、設定した覚えがないぞ。
しかも、文字化けしとる!

で、メールにパスワードの再発行を依頼しようとすると、
やっぱり文字化けの秘密の質問が・・・

で、ホームページから問い合わせようとすると、
ログイン画面が・・・

あああああ

電話かけました。
マウレシアさん(仮名・どこの国の人?)が親切に案内してくれました。
10月から、ログインのセキュリティが高くなって、パスワード
変更のメール送ったとのこと。
(ヒロミのスマホはそのメールさえも化けていましたけど)
で、本人確認の数字をメールに送るので、いま読み上げて、と。
(メールは申告しなくてもわかるのねえ)
で、仮パスワードもらって、めでたくログイン成功。

こんなにがんばっても、どこかへすぐ行くわけじゃあないんだけど。

今年は、モネの庭、ジヴェルニー!
2019年1月15日

広島NHK杯で、レジェンドオンアイスがあり、ちょっと盛り上がってしまいました。
で、プリンスアイスワールド長野公演に誘われ、ほんとは
行く気がなかったけど、エキサイティングシート!
レジェンド本田くんとお話できるなら行ってみる!
何話すんだ?
レジェンドの部屋で語っていた、14歳のTico Tico


本人は嫌がってたけど、ヒロミは大好きだった!
これを直訴する!
で、プレゼントの花束も、ちょっとオーダーしてきました。
衣装の袖をイメージして!オレンジと緑色でお願いしますって。

嫌がられるかなあ・・・