スイスの安楽死
ドキュメンタリー番組を見ました。
自身の死が見えたとき、
自らの命を絶つ気持ち。
何が正解とかじゃなくて、いろんな考え方はあって当然だと思います。
…壮絶でした。
誰もが知る言葉ですが、
誰もが考える訳ではありません。
今の世の中、
苦しんで生きているよりも、未知の世界の方が楽だと考えるのでしょうか?
私の考えですが、
今「生きている」ってことは、
過去からの繋がりであって、
「生かされている」と考えています。
その繋がりを自身から途絶えることは、
如何なる理由があろうと、
してはいけないのだと思っています。
自分の為に生きている訳ではありません。
大切な人の為…
家族(妻、子供、親)であったり、
また友人であったり。
限りある時間を
共に過ごす事が大切な事で…。
その中での変化(関わり合い)が、
自身や周囲の未来を変えるのだと。
家族を悲しませ
自ら絶つ行為に
違和感を感じました。
自身の存在は、
自身で絶たなくても、何れ絶たれるのだから、その与えられた時間を全うする。
それこそが与えられた使命ではないかと思います。
安楽死…。
お金をかけた自殺の様に思えてしまいます。
私だけでしょうか?
私は何度か、
重篤な症状から蘇り、
悲しむ妻の顔を見て、
また喜ぶ妻の様子を体感して、
自身の為ではなく、
妻の為に生きるんだ!と思いました。
自身の経験から、
苦しさに流されず、
大切に時間を過ごそうと。
生涯日々再発と隣合わせ、
そして不自由な体での生活。
死を乗り越え、帰って来ることで遭遇してしまった今の車椅子生活は、今では先に進む為の一つの手段だと消化しています。
現実から目を背けては進めません。
選ぶ方向によっては
活かされると信じています。
難病生活…
自身の苦しみを排除する為ではなく、
妻の笑顔を絶やさぬ様、与えられた時間を有意義に生きる努力をしています。
自身の体を少しでも整えたいと思っています。
昔の写真ですが、今の車椅子生活の自分と繋がっているのです。

朝を迎えることが出来る限り、
明日を目指します。
それは20数年前の自分と変わりません。
不自由になっただけ。
何度も書きますが、
忘れてはいけないこと、
自分の人生は大切な人の人生と絡んでる。
良い絡みを持ちたいですね。
同じ朝を迎え、
好物のパウンドケーキを頂きます。
(好物かいっ!💢)

私程度で判断出来ることではありませんが、誰もが幸せな気持ちで朝を迎えられます様に願っています。
🙏合掌