こんにちは、ROKOママです
HSC、感覚過敏強めの兄弟を育てています
小学生の二人は不登校で時々フリースクールに通っています。
二人をサポートする私もHSP
そんな二人と私の日常や感覚過敏への対応など綴っています
どうぞよろしくお願いいたします
パパのこと
↑このブログを書いて題名を決めた時、
ふと頭によぎる出来事がありました。
「褒めてほしい時に褒められなかった」
似ている言葉ですが
【甘えたい時に甘えられなかった】
という言葉です
これは長男が1年生の時、パパが怖すぎるから助けてほしい
と校長室に自ら行って校長先生に夫婦で面談してもらった時の言葉です。
どんな風に怖いのか、どんな時にお父さんは怒るのか?と
あらかじめ長男に聞いてい校長先生。
そして、私とも面談で話を聴いてくださっていた校長先生は
パパの話も聞いた後にこういいました。
「お父さん、お父さんは兄弟の長男として小さいころから
しっかりしないと、と頑張ってこられたのですね。
お話によると自営業でご家庭は忙しかったようですし、
その中でお父さんは本当はご自身のお母様にもっと甘えたかったのでしょうね。
もっと甘えたい、優しくしてほしい、
そんな気持ちを常に持っていたけど
忙しいお母さんには甘えられず
下の兄弟の御世話やお手伝いをされてきたのでしょう
きっと、今、長男君にきつく当たってしまうのは
自分がやりたかった母親に甘える、ということを
長男君が十分にできているから。
自分ができなかったことをやって、
母親(ROKOママ)に受け入れて貰えている姿に
やきもちをやいているんですよ」】
と。
パパの生い立ちを否定するでもなく
ちゃんと理解し、その中での頑張りも認め、
でも、自分の人生と息子の人生を切り離せず
重ね合わせてきつく当たっている
という確信をつくような言葉でした
確かに、パパは付き合っていた時に
「家は自営業でいつも忙しかった
夕食もバラバラで食べていた。
親戚も一緒に住んだ期間もあってその中で俺は
一番上だったから皆の世話を焼いてきた」
と話していました。
また、義母の性格上、
「ありがとうね、助かるよ」
と隙間時間にパパを褒めるとか、ハグする様な事もなく、
「できる人がやって当たり前」
「子供だって手伝う事が当たり前」
「早くから自立することが一番!!」
というような状況だったようです
もちろん、それが悪い、とは言いませんが
それが当たり前、とパパは過ごしていたようですが
ある時からそういう環境や親の言いなりになって過ごしてきたことに
反発を覚え、そこからの親への反抗が酷くなったと
実際、結婚してからもパパと義母は
お互いに依存しているのに顔を見れば喧嘩ばかり
そこに入るROKOさんは間に挟まれて大変になるよと
パパの兄弟に忠告されたほどでした
でも、きっとその反抗も喧嘩もパパの中では
「もっと小さいころに甘えたかった」
「今でも自分を認めてほしい」
という気持ちの表れなのだろうなぁと思うのです
そして、様々な経験をされてきた校長先生は
数回の面談の中でそのことをしっかり見抜いていたのでした
実際、パパが長男にきつく当たるときの事例の中には
私に甘える時、という事もあり
「そんなの自分でやればいいじゃん」
「直ぐに、ママ、ママ、って言わないで」
「パパが長男君ぐらいの時は一人でやっていたよ」
こんな感じでした
とは言え、遊んでいる時などで楽しく私と関わっている時に
遠巻きに見ているパパがこんな風に言ってくることが多く
身辺自立のために自分でやらせないと!!というよりは
私と長男が楽しそうなのが嫌、
自分が仲間外れに感じる(そう言われたこともありました)
という感じなのかなぁ、と思ったことがありました。
甘やかしと甘えたい気持ちを受け入れる違い、ですかね
絵本を読んでほしい、と寄ってくる
トランプをしている時に膝に座ってる
寝る前にハグをしたり、くっ付いて眠る
そんな子どもの甘えて安心したい欲求さえ
パパには「自分ができなかったことをしてもらっている」
というイライラや許せない、という想いに繋がってしまっていたのかもしれません。
無自覚なのかもしれませんがね
我がまま、とかではなく、
本能的に
「こうしてほしい」という事を
「今」という時に
「この人」
にしてもらえなかったって
大きくなってからもずっと心に残るものだったり
無意識のうちに言動に出てしまうものなのかもしれないなぁと思いました
長男にもある
「してほしい時に、してほしい相手に欲求を満たしてもらえなかった」
部分。
何かで上書きできたり切り替えたりできるものなのかな、
傍でサポートしつつそう思うのでした
読んでくださりありがとうございました