こんにちは、ROKOママです。
昨日の夜、長男がお友だちとアプリ通話をしていました。
家族公認の仲良しさんで穏やかな時間、会話が流れていました。
そんな中
「話変わるんだけどさぁ」
電話口からお友だちの声。
「もうすぐ卒業じゃん?
卒業式はどうする感じ?」
来て、とも、来ないの??
とも言わないお友だちの存在がとてもありがたかったです。
「まだ迷っているけど…
行けるかもしれない…けどまだわからないかな」
そう答える長男は別の話題に話を変えてまた楽し気に会話をしていました。
あと2カ月。
長男が自分で決めて卒業を迎えられたらと思います。
長男が入学後間もなく学校を休みたい、と言った時
やっぱりかと受容する私と
行けるはず!!と欠席させたくないパパとの間に大きな差が産まれました。
そしてその差はその後の
【不登校暗黒期】を産むのです
その頃、パパは月曜日がお休みの職場でした。
登校不安定の子どもの月曜日の朝・・・・
想像しただけで富士山ほどの高さのハードルがそこにはありますよね
そこに
「休むのは許さない」と怖い顔をして仁王立ちするパパが居たら
そのハードルはエベレスト並みです。
「いつ行けるの?」
「まだ行かないの?」
登校を渋る長男にパパは追い込むような言葉を次々掛けるのです。
「もう少ししたら行く…」
「3時間目から頑張る」
そう言って長男はリビングにいるパパから死角になるような
ダイニングのすみっこで居心地悪そうにしています。
「行けそうなとき送っていくよ
パパは二階で休んでいて」
やんわりそう言って二階に行ってもらうものの
それ以上にパパを説得することも
長男の心を理解してもらうことも出来ず
話し合うにも
「ママがそうやって甘やかすから」と
余計に長男へのあたりがきつくなってしまうのでした。
パパが二階に行くと
ふぅっと深呼吸しホッとした表情を浮かべる長男でしたが
ドン、ドン、ドン・・・とパパが階段を降りる音がするたびに
「パパが来ちゃう、どうしよう、
でもまだ学校には行けない…」
とパニックになるのです。
「とにかく、家をでよう!!」
長男を連れランドセルをもち
「送ってくるね、そのまま買い出しにもいってくる」
と家を出て車を走らせます。
でも行き先は学校ではありません。
海の見える公園
新緑の広場、
実家
その時その時によって避難先は変わります。
それでも
「もしパパが出かけようとして公園の近くを通って見つかったらどうしよう」
と、私も長男も気が気ではないのでした
「あl、給食の時間終わっちゃった…」
行けるか、行けないかと迷っているうちに
お昼を過ぎてしまう事もありました。
でも、家にはパパが居るし…
少し離れたコンビニで隠れるように2人でおにぎりを食べていると
この世の終わりのような気持ちに包まれ
長男と二人でこのままどこかに行ってしまいたい気持ちに襲われました。
気づくとおにぎりがしょっぱく感じます。
あ。泣いてる。
自分がポロポロ泣いていることに気づき、
長男に気づかれないようにそっとぬぐいました。
長男はとても感受性の強い子です。
私が泣いていることに気づいたら自分のせいでママを悲しませていると
酷く落ち込むでしょうし
ママのために、と無理をして登校し余計に辛くなってしまうかもしれません。
「おにぎり食べ終わったらさ、
次男君の幼稚園のお迎えの時間だから一緒に幼稚園に行こう。
今日はこのままお休みにして、
パパに聞かれたら3時間目から登校したってでも言っておけばいいよ」
作り笑いでそんな風に伝え幼稚園へと車を走らせるのでした。
今、振り返ると・・・・
もちろん、その時その時の悩みや不安があり
完全不登校になった今もそれは尽きませんが
この時のような
「明日はいけるのか?
今日は何時間目だけいけるのか?」
と長男と駆け引きのような会話をしていた時期、
パパに理解してもらえずパパに隠れるように過ごしていた時期、
私自身も
「なんで我が子が…
将来どうなるんだろう」
と悩み、迷い、元気に登校する他のお友だちを見るのが辛かった時期
この時期が一番の不登校暗黒期だったように思います。
もっと早い段階で私が腹をくくり
もっと早い段階で周りにどんどん相談したりできていたら
長男は壊れてしまう事がなかったのかもしれない…と
後悔することもありますが
その時は精一杯だったのかもしれません。
一つ言えるのは
その場しのぎで私が長男を守っていたことは
全然守っているに値しなかったかもしれない、という事
なぜなら、ここから長男は壊れていってしまうからなのです。
読んでくださりありがとうございました。