本当の自分を受け入れて、「楽」に人生を楽しみたい。
そう思い始めてここ数年、何とかして「本当の自分(若しくは本当の自分がやりたいと思っていること)」を見つけ出して、それを極めたいと思い過ごしてきた。
最初は、どこかの道の片隅にでもそれが転がっているんじゃないかと思って、一生懸命外の世界を見て回ってみた。
でも、見つからなかった。
次に、実は自分の中にそれは既にあって、今までの「社会人」となるべく受けた常識その他を含む世間の目等による洗脳のなかで自分の目に見えなくなってしまってるんじゃないかと思って、一生懸命それが見えるように神経を研ぎ澄まして内なる世界を見直すべく努めた。
でも、見つからなかった。
今度は、自分の目に見えなくなってるということが、実は自分の目だけの問題ではなくて、宝物は通常土の中等に潜んでいるから、「本当の自分」をそこから掘り起こしてやらないといけないのではないかと思って、覆っている「土」と思しきものを払い除けていくことを試みた。
でも、やはり見つからなかった。
そして日々のアルコール量だけが激増していった。
体もだるく、辛い。背中も痛い。もう体も限界に近い。・・・
そんな中で、ふと思った。
本当の自分を見つけようとしてここ数年繰り返していたことは、「今やっていることは間違っている。正解は他にある。」と信じて他所ばかりに目を向けることだった。
「自分の中に埋もれている本当の自分を掘り起こす」と言っている時でさえそうだ。
それは何を意味するか。
それは紛れもなく、自己否定に他ならない。
僕は本当の自分を見つけようとして、結果的に何年もの間、本当の自分を否定し続けていたのだ。
分かった!
だからだ。だから本当の自分を見つけ受け入れるということが叶わないばかりかアルコールが益々増えていってたんだ。
「本当の自分」、それは自分の本意であると感じてようといまいと、今、この瞬間自分がやっていることや思っていることなのではないだろうか。
そしてその時、「これは本意ではない。自分は○○でありたい。」と自己を矯正しようとする思いは、向上心ではなく、単なる自己否定なのではないだろうか。
それが本意でないと感じても、その瞬間瞬間の自分の行いや思いを、そこにある「事実」として素直に受け入れる・・・
それが自分だとしっかり認識する・・・
「自分は○○でありたい」と自己否定し自分の望む方向へ向けて自己矯正を試みることは、自己否定を延々と繰り返す結果を生み出すもの以外の何者も生み出さず、仮に自分の本意でなくともその瞬間瞬間の自分を事実としての自分として受け入れていくことが、実は「本当の自分」の実現に向けて後押ししてくれるものなのではないだろうか。
逆説的だが、正にそう思う。
そして、毎日朝からアルコールにばかり手を出していた自分を「なんでこうなんだろう。今日で絶対禁酒しよう。」と否定的・悲観的に思うのではなく、「これも本当の自分の姿なんだ。」と思ってみた。
なぜか妙に楽だった。何の抵抗もなかった。
そうしたら、「アルコールに手を出し続けさせることで、『おまえがいつまでたっても自己否定を繰り返すのに憤慨してるんだ!僕は不満なんだ!ストレス溜りまくりなんだ!』と、それを手段として、僕自身が僕自身に対して不満を訴え、警告を発し続けていたんじゃないだろうか。」とも思うようになってきた。
そしてここ数日、何の我慢も努力もなく、自然とアルコールの量が劇的に減ってきた。
また、先日久しぶりにパニック発作の前触れのような嫌な感覚が襲ってきたとき、「これも自分だ。何らかの自分自身からのメッセージなんだ。否定すべきものではない。Welcome!」なんて思ってみたら、その瞬間急に心も体もポカポカ・ワクワクし始めて、なんとも心地よかった。
不思議だけど不思議じゃない、なにか確信めいたものが、今は僕の中にある。(^-^)