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最近久々に思い出したのだが・・・

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僕は25年ほど前にパニック障害になった。

処方されたメンタルの薬を飲むことは何が何でも嫌だった。

そんな中、森田療法の本をたまたま見つけ、その内容を自己流で実践してみた。

当時、発作(及び発作の予兆の不快感)に襲われないことだけが唯一最大の望みだった。

僕は、きちんと専門の先生の指導を受けずに何せ自己流でやったため、間違った方法を実践してしまったのかもしれないが、ただ「症状をありのまま事実として受け入れて、症状に囚われず客観視する」ということを、「症状が出ても怖がらず、見て見ぬふりして無視する(相手にしない)」と解釈して実践した。

症状は2週間ほどでかなり軽くなり、多少のビクビク感は残っていたものの、会社にも戻れた。

ただ、そのとき以来感じていたことは、自分が喜怒哀楽を失った人形のようになってしまった感覚だった。

不安感や恐怖感はなくなった(封じ込めた)。でも、ワクワク感や喜び、楽しいという気持ちなどを感じる感覚も無くなってしまった。

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今、僕は改めて思うのだが、メンタル症状は自分自身を無理矢理抑えつけている自分に対する心の叫び。

症状を排除しようとすることは勿論だが、症状を客観視(見て見ぬふりをする、無視、相手にしない)しようとすることも、本来実践すべきものではないのではないだろうか。

自分の心がその症状を現出させることによって精一杯の叫びを上げているのに、その叫びに応えず相手にしないとは何事か。

本当に今、僕は改めて思うのだが、そういう心の叫びを目に耳にしたとき、忌み嫌うのではなく、愛おしい自分自身の心の叫び(症状)を客観視ではなく、真正面から主観的に一生懸命受け止め、心がそこまでの叫びを上げざるを得なかったほど自分は素の自分の一体何を無理矢理我慢し抑えつけているのか、それを考えてみてほしいと思う。

おそらく、自分が無理やり我慢しているものは何か、容易に気づけると思う。自分はそれを既に知っていると思う。

そしたら、その我慢を取っ払ってやる。

心がそこまでの叫びを上げざるを得ないほど自分が我慢し続けてきたのだから、その我慢は社会(家庭を含む)における自分の地位を確保・維持するためにとてつもなく重要なもので、取っ払ってしまうと社会から抹殺されるほどの恐怖感を感じさせ得るほどの絶大なものと思われているかもしれない。

でもその我慢のおかげで、心はもがき苦しみ続け、ついにはその叫び声を上げたのだ。

本当の自分はそんな我慢なんかに価値を見出しておらず、そんな我慢なんかしたくないのだ。

僕は、当時それに気付かなかった。

症状を無視し続けた。心の叫びを無視し続けた。

そしたら、心の声が聞こえなくなった。喜怒哀楽を感じる感覚を失った。

僕はもう自分の心の叫びを決して無視したりしない。

むしろ、よく声を上げてくれたと歓迎する。

よりよい人生を送るため、もっと頻繁に叫びを上げて欲しいとさえ思う。

そして、その時々で自分が抑え我慢しているものを解き放つ。

それが何かは、他人には言い辛くても自分には明確に判っているはずだ。

そして、その我慢は取っ払っても自分が抹殺されることはない。

より豊かな人生が目の前に広がるだけだ。